生まれてすぐ、実の親と暮らすことができない赤ちゃんがいる。愛知県の児童相談所では全国に先駆けて、予期しない妊娠の後、生んだが育てられないと実親から託されたた命を、生後0か月のうちに里親家庭へとつないできた。なぜ施設よりも、里親なのか。子どもたちはその後、どんな人生を歩んでいるのか。ノンフィクション作家の黒川祥子さんが、元児相所長が見続けてきた“赤ちゃん縁組”を追う――。

子どもを望む夫婦と予期しない妊娠・出産した女性をマッチング

元愛知県児童相談所所長であり、現在もNPO法人「CAPNA(子どもの虐待防止ネットワーク・あいち)」の常務理事として、子どもを虐待から守る活動を続けている萬屋育子さん(75歳)。

児相職員であったときから、活動の中心には「愛知方式」と呼ばれる「赤ちゃん縁組」があった。児相職員の先輩であった矢満田篤二さんが1982年に始めた、愛知県独自の赤ちゃんの命を繋ぐ活動だ。萬屋さんは、90年に岡崎の児童相談所で矢満田さんと同じ職場になり、矢満田さんの「赤ちゃん縁組」の取組みにならって「生後間もない育てられない赤ちゃん」の相談に対応するようになった。今なお、萬屋さんは矢満田さんを「私の師匠」と敬愛している。

子どもの虐待死で最も多い「0歳0カ月0日児死亡」を何とか減らしたい。乳児院では特定の大人と恒久的な関係は育めない、家庭・家族と縁の薄い子どもに避けられない「愛着障害」を防ぐためにも、その子たちにいかに家庭で安心できる特定の大人とのあたたかな暮らしを与えていくか。そのために最適だと試みられたのが、子どもを望む夫婦を養親候補としてあらかじめ里親登録し、児相が、予期しない妊娠をして赤ちゃんを育てられない女性とマッチングすることだ。出産後、赤ちゃんはすぐに養親に引き取られ、「特別養子縁組」の手続きを行い、法律上も親子となって家族としての営みを始めていくという一連のシステムが、「愛知方式」だ。

この「愛知方式」こそ、予期しない妊娠をして育てることができないと苦しむ女性にも、実子に恵まれないが子どもが欲しいと望む夫婦にも、そして何よりこの世に生を受けた赤ちゃんにとって良い方法であると、萬屋さんは確信する。だからこそ、愛知県にとどまらず、全国の児童相談所に赤ちゃん縁組の取り組みが広まってほしいと、今もさまざまな活動を続けているのだ。

生まれたばかりの保育器にいる赤ちゃん
写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです

乳児院で育つということ

ずいぶん前のことになるが、私は東京都にある乳児院を取材したことがある。そこは特定の大人(=職員)との間に「愛着関係」が結べるような養育を心がけている、ある意味、先進的な乳児院でもあった。

新生児の部屋で、職員から受けた説明を今でも忘れない。

「この子は一昨日、産院から来た子です。この子はもう少し前になりますが、同じように産院から直接、こちらに来ています」

目をつむって手をぎゅっと握りしめた、小さな生まれたばかりの新生児が、ベビーベッドに寝かされていた。そのあまりの小ささと、運命の過酷さに胸がわしづかみにされる。この子は生まれてから一度でも、お母さんの腕に抱かれたことがあったのだろうか。この世に生を受け、「生まれてくれてありがとう」と喜びいっぱいの笑顔で迎えてくれる、母親や家族が誰一人いないという赤ちゃんが目の前にいた。

頭では、その存在はわかっていた。でも目の前の赤ちゃんの無垢な姿を前に、その冷徹な事実に胸が震えた。

「乳児院が悪いと言っているわけではない、職員は子どもたちにできる限りの愛情を持って関わっているが、愛着関係を作るには限界がある」と前置きした上で、萬屋さんはなぜ、早期の里親への委託が重要なのか、その理由を語った。

高い柵にゴンゴン頭をぶつけて…

「乳児院でも赤ちゃんのお世話、ミルクを飲ませる、おむつを替えるなどは同じです。が、職員は代わりばんこ、今日、ミルクを飲ませてくれた人と明日の人が違う。赤ちゃんは目が見えなくても、声とか匂いとかでちゃんとわかっている。複数の職員が入れ替わり立ち替わりの環境では、不安にならないわけがない。乳児院は必要なものではあるけれど、授乳一つとっても、長期間そのような育てられ方をしたらどうなるか。

生後5、6カ月ほど経ったら、赤ちゃんにも意思が出てきます。乳児院では柵のあるベッドに赤ちゃんを寝かせています、その柵は、赤ちゃんが落ちないように高くなっています。寝る時間になるとその柵に頭をゴンゴンぶつけたり、指しゃぶりをしながら、赤ちゃんは自分で自分をなだめて一人で眠るのです。一人ひとりの赤ちゃんに職員が寄り添うのは不可能なのです」

かつて私が里親家庭を取材したとき、養育里親は乳児院から2歳でやってきた里子を、「ロボットのような赤ちゃん」と表現した。

「全く表情がないの。ロールパンを口に咥えて、両手にもパンを持って、それでもさらに口いっぱいに頬張ろうとする。満腹というのを知らないの。病院でも電車でも、知らない人のカバンを開けて、物をどんどん出していく。これって、愛着障害なんです」とその里親は語った。

虐待死から子どもを守る活動を続けている萬屋育子さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
虐待死から子どもを守る活動を続けている萬屋育子さん

愛着障害――児童虐待の後遺症

「愛着障害」――、児童虐待の後遺症で避けて通れない大きな問題だ。「愛着」とは養育者と赤ちゃんの間に築かれる信頼の絆のようなもの。「愛着」という安心基地をもらえた赤ちゃんは、他者や世界を信頼し成長していくことができるが、それを得ることがなかった場合、人との距離がつかめなかったり、衝動性が抑えられなかったり、問題行を繰り返し起こすという、大人になっても生きにくさを抱えて生きることとなる。

すべての赤ちゃんが幸せに育ってほしい――そのためにも、親が育てることができない赤ちゃんを施設ではなく子どもを待ち望む里親夫婦に託し、特別養子縁組の手続きをして、法律的にもわが子となる「愛知方式」が重要なのだ。

「『赤ちゃん縁組』という手法で早い時期に、親となる特定の大人に養育を託する大切さをわかってほしいです。赤ちゃんにとって一番必要なことです。妊娠初期は妊娠に気づかず、栄養をちゃんと摂っていなかったり、お酒や風邪薬を飲んでいたり、母体の健康状態はよくないことが多いです。やっとこの世に出たと思ったら、十月十日とつきとおか慣れ親しんだ匂い、鼓動、声から離されてしまう。赤ちゃんとしては不安で仕方がないと思います。ジーっと声を出さず耐え忍ぶか、不安で泣き続けるか、赤ちゃんによって違います。

「だからこそ、心から子どもを望む夫婦に迎えてもらって、『大丈夫だよ』って声かけして、抱っこしてもらい、オムツを替え授乳してもらうという営みの中で育つことが、いかに大事なことか。特定の人に、『かわいい、かわいい』って育てられると、かわいい赤ちゃんになるんです。1歳まで乳児院にいて養子縁組前提で里親に引き取られた子がいます。1歳でも時に大人をにらみつけるような目つきをします。育てる側にわざと嫌なことをして、養親さんの中には、『もう少しで、たたいてしまいそうになったよ』と言った方もいました」

救えなかった命

1982年、矢満田さんが「赤ちゃん縁組」に着手したときは、先例がないということで上司の反対に遭いながらの船出だった。児童虐待防止法の制定が2000年、厚生労働省が「里親委託ガイドライン」で愛知県の取組みとして紹介したのが2011年。

2016年には児童福祉法が改正され、厚生労働省は翌年「新しい社会的養育ビジョン」で「里親委託優先」「特別養子縁組年間1000組以上めざす」とした。だから、「愛知方式」と呼ばれる「赤ちゃん縁組」の取り組みがいかに先駆的な試みだったかがわかる。

「愛知方式」の生みの親、矢満田篤二さん(2007年4月11日撮影)
写真提供=共同通信社
「愛知方式」の生みの親、矢満田篤二さん(2007年4月11日撮影)

矢満田さんは一貫して、こう言い続けた。

「子どもにとって本当の幸せは何か考え続ければ、おのずと答えは出るはずだ」

その思いは、萬屋さんが今もしっかりと受け継いでいる。しかし、その足元で、思いもしない痛ましい事件が起きた。

2020年6月2日、愛知県内で当時20歳の未婚女性が公園のトイレで赤ちゃんを出産し、そのまま死なせるという事件が起きた。

「愛知県内ではあまりないことだったので、非常に衝撃を受けました。ええー、なんでーって、驚きでしかありませんでした」

しかも、その地域は、かつての萬屋さんが勤務していた職場の管轄内だった。初めて手がけた「愛知方式」はこの児相で行ったものだった。

萬屋さんは、裁判の傍聴に通った。

「20歳の専門学校生ということでした。彼女は一人親家庭で育ち、母親に迷惑をかけたくなかった。その思いは徹底していました。母親にはどうしても言えなかったようです。さすがに周囲が妊娠に気づいて、病院へ学校職員と一緒に行く約束をしていたのですが間に合わなかった。約束したその日に一緒に病院へ行ってほしかった」

病院にいく約束の朝に

当日朝、彼女は学校に行こうと家を出た。歩いている途中、お腹が痛くなり、公園のトイレに駆け込んだら、そこで赤ちゃんが産まれてしまった。

それがどんなに悲しい修羅場であったのか、萬屋さんは法廷でありのままを知ることとなった。

「周りは血だらけで、彼女は頭が真っ白になり、そこから全く記憶がない」

学校から母親に、「約束をしているのに来ない」と連絡があって、母親が探したところ、トイレでうめいている声がしたので叩いて開けたら、血みどろになっている娘がいた。母親は慌てて救急車を呼び、娘と赤ちゃんは病院へ搬送された。

母親は娘の妊娠に気づくことはなく、病院で初めて、娘が赤ちゃんを産んだという事実を知った。

赤ちゃんの父親とは、同年代の知り合い。妊娠がわかって中絶しようと病院に行ったものの、相手の同意が必要だと言われ、連絡を取ったところ、男性は妊娠の事実を疑い、連絡はそこで途切れた。

「お母さんには、知られたくなかった」

女性は法廷で、こう述べた。

「とにかく、未婚で妊娠して恥ずかしい。お母さんだけには、知られたくなかった。迷惑をかけたくなかったから」

「いつの時代にもどこの国・地域にも予期しない妊娠に苦悩する女性はいる、いたと思う」と萬屋さんは言う。萬屋さんが出会った予期しない妊娠をした女性は一様に、「妊娠を誰にも知られたくない」と切望した。よくよく話を聞くと、その知られたくないという最も大きな存在は「親」だった。萬屋さんはここで「親に迷惑をかけたくない、親にだけは知られたくない」という子どもの悲痛な気持ちを心底思い知った。

母親は仕事の関係上、娘とはすれ違いの生活で、妊娠に気づくことはなかった。裁判官は、母親にこう聞いた。

「娘さんに打ち明けられたら、どうしましたか?」

母親はきっぱりと言い切った。

「私も一人で子どもを育ててきましたから、娘の子どもを一緒に育てたと思います」

萬屋さんはこの母と娘の姿を目の当たりにして、こう思わずにはいられなかった。

「親と子ども、お互いに思いやりながらここまで気持ちがかけ離れている、こんなにもずれてしまうんだなーって」

もっと早く、病院に行っていたら赤ちゃんは無事だったはず。残念でならなかった。出産予定日は6月3日、その前日の出来事だったのだ。

母親と一つ屋根の下に暮らしながら、どうしても妊娠を告げることができなかったという事実。娘にとって妊娠期間は、どれほどの苦しみの中にいたのだろう。事実を直視できず、先延ばしにするしかすべはなかったのか。

「女性のみが逮捕され、裁かれる」

予期しない妊娠をした女性がいかに孤独で、絶望的な状況で臨月を迎えていることか。そのことを、改めて思わずにはいられない。

「妊娠SOS」など、望まない妊娠や赤ちゃんを育てられない悩みなどを相談できる窓口が全国に作られてはいるが、どこにも繋がることがなく、一人で出産を迎える女性がいまだ、後を絶たない。

熊本市の慈恵病院に、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」ができたのが、2007年。ようやく今年、2例目となる「ベビーバスケット」が東京都の賛育会病院に作られた。育てられない赤ちゃんを匿名で預けることができる場所の設置でさえ、これほど遅々とした歩みなのだ。

かつて、私は慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」を取材したことがあった。当時、全国に1カ所しかなく、関東や東北など遠方からも新生児を抱えた母親たちは、熊本を目指してやってきた。熊本駅からだって不便な場所にあるというのに、産後の身体を引きずっても、せめて赤ちゃんの命を繋ぐためにと、母親たちは「ゆりかご」を目指してやってきたのだ。

「1973年に菊田医師が赤ちゃん斡旋を公表し、1982年に矢満田さんが『愛知方式』を始め、1988年に特別養子縁組制度ができ、2007年に慈恵病院の赤ちゃんポスト、そして今年になって、2例目の赤ちゃんポスト。予期しない妊娠をした女性、生まれた赤ちゃんへの救済って、こんなに遅々とした歩みなんです。ここにつながらず、孤立したまま赤ちゃんが生まれそれでも助けを求めず死なせてしまう。明るみになってたいていは、女性のみが逮捕される。そして裁判になったら、女性のみが裁かれる」と萬屋さんはため息をつく。

隣国に比べてもお粗末な日本の現状

韓国では儒教思想が強く、未婚での妊娠は親から認められないという事情のためか、予期しない妊娠をした女性のために全国津々浦々、グループホームが用意されている。そこでは出産までの支援はもちろん、生まれた子の養子縁組の援助や、母親が育てる意思を示した場合は自立できるまでサポートをするなど、女性の孤立を防ぎ、最悪の事態に至らないための居場所や人的支援が整っている。

それに比べて、この国のサポート体制は何とお粗末なことだろう。特に、赤ちゃん縁組・特別養子縁組は民間機関に頼りっぱなしというのが現状だ。

「児相は虐待家庭から子どもを切り離す大きな権限を持っていますが、その一方、家庭の縁が薄く、家庭を奪われた子どもたちに里親制度を使って、家庭・家族を与えることができます。これは、児相の強力な公的役割だと思います。児相は全国47都道府県にありますし、市町村との連携もできています。盤石の体制で行えるはずです。愛知県のように全国の児相で『赤ちゃん縁組』をやるべきと思いますね」

「愛知方式」は萬屋さんが望むように、もっともっと全国に広まっていい。

里親サロンに集う人々

「矢満田さんは、養子縁組・里親当事者の自主交流会も作りました。『愛知方式』で関わった養親さんや子どもと、私たち関係者も参加できて交流できるサロンです。児相職員は、その児相から異動になると、自分が橋渡しをした縁組家族に関わることは通常ありません。矢満田さんは休日、開催される当事者の交流会に参加して縁組家族への支援を続けたのです」

○○ができないと諦めるのではなく、工夫して新しいものを作る、というのが矢満田さんらしい、と萬屋さんは言う。

「最初は5〜6人ぐらいの集まりだったのが、今は100人ぐらい集まっています。特別養子縁組の親子だけでなく、大学の研究者や私のような児相関係者も参加して、いろんなつながりが広がっています。愛着障害、真実告知などをテーマに専門家から学んだり、先輩養親から体験を聞いたりしています。大きくなった養子から話を聞くこともあります」

養親の大きなテーマは「真実告知」。物心がつく時期に産みの親が別にいることを、子どもに伝える。同時に、自分たちが子どもを迎えてどんなに幸せかということも伝えるという。

「真実告知をされた思春期の子どもが養親に『産んでもいないくせに』とか、『親ヅラしやがって』とか、暴言を吐き暴れている話も聞きます。思春期の子どもが暴れるのはしょうがない。『そのセリフよくぞ言ってくれた』くらいの気持ちで構えましょう。ずーっと親子、死ぬまで親子ですから」

「グレて、荒れて、家を出たとしても、帰れる家があるのとないのとでは、安定感が違います。家を出て行った子も、何かあったときには連絡があるようです。子どもたちがこの世の中を生きていくためには、そういうつながりが必要だと思うんです。疲れたときに寄り添ってくれる人や休息できる場所がなく、一人で生きていくのは誰でもしんどいと思います」

取材した日はその後に、萬屋さんがは児相にいた頃に「赤ちゃん縁組」をした子と、面談の予定が入っていた。

「生母のことが知りたい」

「私が担当した子で、『2000年に僕は生まれました』って言っていたから、今、25歳。『生母のことが知りたい』と私に連絡が入ったので、来週くらいにその子と一緒に児童相談所の面談に行きます。養母さんは数年前に亡くなられています。生母のことを知りたいという思いが出てきたようです。縁組みして終わりではなく、親御さんや大きくなった子どもたちとつながりが続いています。縁組みをした女の子の結婚式に呼ばれたこともありました」

矢満田篤二、萬屋育子『「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくす 愛知方式がつないだ命』(光文社新書)
矢満田篤二、萬屋育子『「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくす 愛知方式がつないだ命』(光文社新書)

彼女は、養親と一緒にサロンに継続的に参加していて、成長を見守っていた一人だった。養親は彼女が高校生の頃に関わり方についてずいぶん悩んでいた。それが今や、結婚して母親となり子育てをしている。「そんな姿を見るのは『赤ちゃん縁組』冥利に尽きます」と、萬屋さんは言う。

「県外、長野や福井の里親にお願いした赤ちゃんもいます。愛知県の子どもは『愛知方式』でつながっていますね、いろんなところに」

萬屋さんは今日も研修や講演、学習会など、さまざまな活動を通して「愛知方式」を広めるためにアグレッシブに動いている。「家族の出発」に関わった者として、細く長くその家族を応援していきたい、見守りたいという萬屋さん。その生きざまに、一切の迷いはない。

次回はぜひ、「愛知方式」で結ばれた親子に会いに行きたいと心から思う。