救えなかった命

1982年、矢満田さんが「赤ちゃん縁組」に着手したときは、先例がないということで上司の反対に遭いながらの船出だった。児童虐待防止法の制定が2000年、厚生労働省が「里親委託ガイドライン」で愛知県の取組みとして紹介したのが2011年。

2016年には児童福祉法が改正され、厚生労働省は翌年「新しい社会的養育ビジョン」で「里親委託優先」「特別養子縁組年間1000組以上めざす」とした。だから、「愛知方式」と呼ばれる「赤ちゃん縁組」の取り組みがいかに先駆的な試みだったかがわかる。

「愛知方式」の生みの親、矢満田篤二さん(2007年4月11日撮影)
写真提供=共同通信社
「愛知方式」の生みの親、矢満田篤二さん(2007年4月11日撮影)

矢満田さんは一貫して、こう言い続けた。

「子どもにとって本当の幸せは何か考え続ければ、おのずと答えは出るはずだ」

その思いは、萬屋さんが今もしっかりと受け継いでいる。しかし、その足元で、思いもしない痛ましい事件が起きた。

2020年6月2日、愛知県内で当時20歳の未婚女性が公園のトイレで赤ちゃんを出産し、そのまま死なせるという事件が起きた。

「愛知県内ではあまりないことだったので、非常に衝撃を受けました。ええー、なんでーって、驚きでしかありませんでした」

しかも、その地域は、かつての萬屋さんが勤務していた職場の管轄内だった。初めて手がけた「愛知方式」はこの児相で行ったものだった。

萬屋さんは、裁判の傍聴に通った。

「20歳の専門学校生ということでした。彼女は一人親家庭で育ち、母親に迷惑をかけたくなかった。その思いは徹底していました。母親にはどうしても言えなかったようです。さすがに周囲が妊娠に気づいて、病院へ学校職員と一緒に行く約束をしていたのですが間に合わなかった。約束したその日に一緒に病院へ行ってほしかった」

病院にいく約束の朝に

当日朝、彼女は学校に行こうと家を出た。歩いている途中、お腹が痛くなり、公園のトイレに駆け込んだら、そこで赤ちゃんが産まれてしまった。

それがどんなに悲しい修羅場であったのか、萬屋さんは法廷でありのままを知ることとなった。

「周りは血だらけで、彼女は頭が真っ白になり、そこから全く記憶がない」

学校から母親に、「約束をしているのに来ない」と連絡があって、母親が探したところ、トイレでうめいている声がしたので叩いて開けたら、血みどろになっている娘がいた。母親は慌てて救急車を呼び、娘と赤ちゃんは病院へ搬送された。

母親は娘の妊娠に気づくことはなく、病院で初めて、娘が赤ちゃんを産んだという事実を知った。

赤ちゃんの父親とは、同年代の知り合い。妊娠がわかって中絶しようと病院に行ったものの、相手の同意が必要だと言われ、連絡を取ったところ、男性は妊娠の事実を疑い、連絡はそこで途切れた。