戦後は世界各地で歌手活動を再開

1945(昭和20)年5月2日ベルリンが陥落し、5月9日にはドイツ全軍無条件降伏文書が調印された。

終戦にはなったが、ソヴィエト軍に占領された間は水道も止まり、治安も悪かった。また、いち早くウィーンの劇場の仮小屋で演劇を再開したデ・コーヴァがソ連兵に拉致される事件もあったが、イギリス軍が入ってくると水道が開通し、やっと戦争が終わったことを実感したという。

戦後、路子は懐かしい人々と再会。1946(昭和21)年にはツックマイアー夫妻にも会った。

実はよりを戻しそうになった瞬間もあったが、珍しく踏みとどまった。

1952(昭和27)年、路子は南米主要都市をまわって公演、ザルツブルクの音楽祭にも招待されて歌った。ここではモーツァルテウム(モーツァルト記念研究所)の碑に日本人として初めて名を刻まれている。

翌年には岸信介(第56、57代総理大臣)と会って親交を深め、ベルリンに来た徳川夢声と対談した。

40代になっても、彼氏が途切れず…

なお、恋愛も休んではおらず、1953(昭和28)年にはRIAS放送局(西ベルリン米軍占領地区放送局)局長のフレッド・テイラーと交際に発展。もともとフレッドはデ・コーヴァ家の友人だったが、デ・コーヴァの巡業中に急接近した。

例によって帰宅したデ・コーヴァに速やかに告白した路子は、全力で闘うと言われて恋を断念している。

日本に一時帰国、八千草薫と共演

この年の末から1954(昭和29)年にかけて、路子は20年ぶりに日本に帰国した。『ヨシワラ』で国賊扱いを受けたのも今は昔、帝劇で「喜歌劇・蝶々さん」を3週間公演し、雑誌でいくつか対談を行うなど忙しいスケジュールをこなした。帰りにはローマに寄って日伊合作映画『蝶々夫人』の打ち合わせをした。主演は八千草薫や寿美花代など宝塚歌劇団のスターで固められ、路子は侍女役で出演した。

帰国した女優・声楽家の田中路子さん、1953(昭和28)年12月帰国時撮影(羽田空港)
写真=共同通信社
帰国した女優・声楽家の田中路子さん、1953(昭和28)年12月帰国時撮影(羽田空港)

1955(昭和30)年、ベルリンに日本領事館が誕生。路子のおもてなしの役目も減るかと思いきや、相変わらず日本人留学生は集まってきた。大賀典雄(後のCBS・ソニーレコード株式会社社長)、大町陽一郎、園田高弘、小澤征爾、若杉弘、長野羊奈子、宇治操など、路子の世話を受けた人は枚挙にいとまがない。彼らをさまざまな人に紹介し、演奏機会を作り、神田っ子気質そのままに飛び回ったが、ときにやりすぎの感があり、不和に終わったことも多かったようだ。