なぜ今、絵はロシアにあるのか

このとき「“赤い”葡萄畑」を入手したのは、ロシア人実業家イヴァン・A・モロゾフだと言われている。おそらくそのときから絵はロシアに渡り、社会主義革命が起こり“真っ赤に”染まったロシアでレーニンが私的財産なんてけしからんと没収。1923年に国有化されて、現在はモスクワ・プーシキン美術館のハイライトコレクション(目玉)となっている。いつか日本で見られる日は来るのだろうか。

今後、ロシアの威信にかけても「赤い葡萄畑」が売りに出されることはないだろうが、現在なら価値はどれぐらいなのか。

実はゴッホの絵は近年、日本人が価格をつり上げてきた。バブル期の1987年に当時の安田火災海上(現:損保ジャパン)が50億円超で「ひまわり」(SOMPO美術館蔵)を落札したのは有名な話だ。

そして、1990年には大昭和製紙(現:日本製紙)創業者の長男で“東海の暴れん坊”と呼ばれた齊藤了英が「ガシェ博士の肖像」を120億円超で購入し、ちょっとやりすぎだろうという史上最高記録を作ってしまった(圀府寺司『ファン・ゴッホ 生成変容史』など)。

現在なら価値は100億円以上か

「赤い葡萄畑」はゴッホが最も画才を発揮したアルル時代の絵であるし、同居を始めたゴーギャンの影響を受けて現実にはありえない色使いを試みた意欲作でもある。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ガシェ博士の肖像」1890年
フィンセント・ファン・ゴッホ「ガシェ博士の肖像」1890年(写真=出典不明/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

仮に100億円とすると、アンナ・ボックが最初に40万円で買ったときから2万5000倍の価値になっていると推測できる。そう考えれば、どんな投資よりすごい上昇率になるかもしれないが、そこには130年という時間がかかっているのだ。

ゴッホは死ぬまで独身だったが、彼の絵の価値を高めたのは女性たちだった。義理の妹となったヨー・ボンゲル(1862~1925年)は亡き夫テオの遺志を継いで、「ひまわり」の絵をロンドンのナショナルギャラリーに納めるなどし、ゴッホの名声を確立した。「大ゴッホ展」に作品を提供しているクレラー・ミュラー美術館のヘレン・クレラー・ミュラー(1869~1939年)は、ゴッホの絵に魅了されて90点ほどをコレクションし、ゴッホ中心の美術館を建てた。

だが、たとえ1枚でも、ゴッホが生きているときに絵を購入し、彼をプロの作家にしたのはアンナだった。きっと、彼に「世界にたったひとりでも認めてくれる人がいる」という確かな幸せと自己肯定感をもたらしたことだろう。つまり、今でいう「“推し”は生きているうちに推せ」。アンナが払った400フランは、まさにプライスレスなお金だったのではないだろうか。

村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター

1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。