ビートルズの日本公演でスタッフになりすまし

プレスリーの音楽的な影響を大いに受けたビートルズにも、驚きの方法で取材している。プレスリーにキスをしてもらうより前、1966年の武道館での来日公演のときだ。

「ビートルズが来日する数年前から私がDJとして担当しているラジオ番組で、何十回も彼らのレコードをかけています。それでも日本の記者クラブは男性社会で記者会見に呼んでもらえなかったんですよ。だからあらゆる手を尽くしてインタビューの会見場に入りました。そのとき、音楽雑誌の編集長の星加ルミ子さんと一緒だったのですが、メンバーの姿が見えた時に、二人でキャーッと叫んでしまって記者たちからものすごくにらまれました……」

星加さんもビートルズが来日する前に、彼らの単独インタビューを成功させた程の実力者。しかし、湯川さんともども「音楽業界の温泉芸者、恥を知れ!」と新聞に書かれてしまう。当時の日本は、女子が人前で嬌声を上げるなんて、はしたないという時代。しかも、「タイムライフ誌が日本を含むアジアツアーのインタビューの権利を巨額のお金で買っていたので、私たちは撮影もインタビューもできなかったんです。私は招聘元の読売新聞のビートルズ来日記念号の責任者だったにもかかわらず、です」。

そこで、湯川さんは「どうやったら会えるだろう」と考えに考えぬいた。ジャーナリストと名乗っては絶対会ってもらえない。だが、“ビートルズがコンサートのときに武道館のスタッフがつけていた腕章を欲しがっている”という情報を聞きつけ、スタッフとして腕章を届けに行くていでビートルズが滞在しているホテルへと向かった。あっさり追い払われるかもしれないが「そこから先は君の腕次第だ」と情報をくれたコンサートのプロモーターは言った。

繰り返しになるが、彼女には「特集号」というミッションがある。是が非でも取材しなければならない。腕章の下には、一眼レフのカメラを忍ばせて(それまで使ったこともなかったが)。

世界のトップミュージシャンにインタビューし、作詞家としても大ヒットを連発した。写真は40代の頃の湯川れい子さん。
写真提供=本人
世界のトップミュージシャンにインタビューし、作詞家としても大ヒットを連発した。写真は40代の頃の湯川れい子さん。

「メンバーはホテルに缶詰にされていたので、退屈していたのでしょう。ジョン・レノン以外は皆私を好意的に迎えてくれました。ポール・マッカートニーが私に紅茶を出してくれたり、ジョージ・ハリスンが私とリンゴ・スターの写真を撮ってくれたり。『私がここに来たという記念の写真が欲しいの』ってお願いしたんです。ジョンが私に冷たかったのは、『自分たちに近づいてくる人間は特別なコネを持っている権力者ばかりだったから、君を信用できなかったんだ』とだいぶ後になって、打ち明けてくれました」

ビートルズの曲の素晴らしさはもちろん、彼らの素顔の様子を伝えた特集は大評判になった。男性の音楽評論家はとにかく理詰めで小難しい文章を書きがちだが、湯川さんの文章には、愛情がこもったミーハーぶりが散りばめられていた。素敵なものを素敵だと素直に伝えることはとても大切なのだ。