結婚のプレゼントにプレスリーがキスをしてくれた
会いたい人には絶対に会う! をポリシーにしていたが、初めて彼の曲を聴いたときから会うまでに15年もかかっている。“ロックの王様”であるエルビスは、アメリカ人ジャーナリストでさえ容易には会えない雲の上の人。どうやったら会えるのかを模索し続けた。
最初の糸口は、来日公演で湯川さんが司会を担当したアーティストのパット・ブーンだ。「エルビスに会いたい」と訴えたところ、どうやらパットの事務所とエルビスの事務所が近いらしいと突き止めた。
「そこを取っかかりに、エルビスにインタビューさせてほしいと頼みましたが、マネージャーさんに何度も断られ、会えるまで随分時間がかかりました。1度目が1971年、そして2度目が1973年。やはりエルビスの大ファンだった夫に『彼に会わせてくれたら結婚してもいいよ』って言われたんです。夫には私からプロポーズしていたので『ならば、会わせてやろうじゃないの!』って(笑)」
一念奮起した湯川さんは、史上初の人工衛星を使って世界中に放映されたコンサートを収録したアルバム『エルビス・イン・ハワイ』のライナーノーツ(解説文)を書く。そのおかげもあって日本でもアルバムが大ヒット。レコード会社に頼んで記念のゴールドディスクをつくってもらい、それを贈呈するためにプレスリーに会いに行く運びとなった。
「そうしたら、マネージャーさんが、ご主人も一緒にいらしてくださいと。二人で訪ねた時、エルビスが『結婚のお祝いに何か欲しいものはありますか?』と言ってくださったので、『私にキスしてください』とお願いしたのです。彼はポッと顔を赤らめて、夫に『よろしいですか?』と許可を取って私にチュッとしてくれました。とても清潔で、純朴な南部の青年という感じでしたね。私の英語がちゃんとしていないだけに、親しみを持ってくれたのかもしれません」と湯川さんは当時を振り返る。なんとプレスリーは二人の結婚証書にも証人としてサインしてくれた。
好きな男性と一緒に憧れのプレスリーに会え、幸せの絶頂だった湯川さん。「日本では彼はあまり正当な評価をされていませんでしたが、私は誰よりもエルビス・プレスリーの音楽性をわかっているつもりです」というほど入れ込んでいたが、残念ながらその6年後にオーバードーズにより彼はこの世を去っている。葬儀にはアメリカまで文字どおり飛んで行ったそうだ。
そして、それから何十年も経った後に、プレスリーの前で愛を誓った夫から思いもよらない仕打ちを受けることになる――。