“人間の生き様”を学ぶ機会になり、指針にもなる
国語力や読解力の低下は、単に「文字が読めない」「語彙が少ない」という問題にとどまりません。物語の根底にある「欠如」を感じ取れなくなっていることこそが、大きな要因のひとつだと考えています。
しかし、だからこそ古文を読むことには大きな価値があります。もし、なんの意味もないでしょと言われたら、私は「過去の生き様に触れると、自分の人生が楽しく、面白くなるんだよ」と返すでしょう。
古典の世界には、現代では想像しにくいほど強烈な欠如や絶望が描かれており、その中で人間がどのように生きようとするのかが鮮烈に表現されています。こうした物語に触れることは、単に受験勉強や成績向上のためではなく、「人間とは欠如を抱えながら生きる存在である」という真理に触れる機会となります。
古文の学習を通じて、自分の中の欠如を見つめ、それをどう埋めようとするのかを考えることは、人生においても大きな指針となるはずです。読解力を鍛えることは、「自分の生き方を理解する力」を養うことにもつながります。だからこそ私は、今の時代にこそ古文をしっかりと学び、その中に描かれた「欠如」と向き合ってほしいと思います。


