「欠けていること」を意識すると、展開が想像できる

私が古文を教えているときに決まって話すのが、「欠如」という概念です。平安時代は、今ほど自由な時代ではありません。不条理なことも多く、好きな人がいても自由に恋愛できないし、一度結ばれても離れ離れになってしまうことが少なくありません。そんな社会の中で、古典作品の登場人物は、心のどこかに「欠如」を持っているのです。

精神的な空白・思い通りにならないことへの憤り・不遇な運命に対する諦観・愛する人がこちらを向いてくれないことへの絶望……満ち足りた状態の登場人物であることはほとんどなく、どうにもならない切なさ、つまりどこかの「欠如」を持っている場合が多いのです。

このことを知っておくと、どんな文章が出てきても、大体こんな展開になるのではないか、と考えながら文章を読むことができます。文章を読むときに、「どんなことが起こるのかな?」と予測しながら読むと、内容がずっと頭に入りやすくなりますよね。この「予測」をしやすくなるのが、「欠如」を知るということであり、読解力を多いに向上させるのです。

たとえば、「昔々、貧乏な男がいました」と物語が始まったとしましょう。この男は「お金がない」という状態にあります。つまり、「お金がある」という本来あるべき状態から何かが欠けているのですね。ここで読者は自然と、「この人は、きっとお金を手に入れるんじゃないかな?」と予想します。つまり、「欠如」が「解消」されるという形を、物語の型として読み取っているのです。

古文のほとんどは「欠如」が根本にある

同じように、「恋をしたことがない男がいた」とあれば、彼にとっての「欠如」は「恋」です。だから読者は、「この人はこれから恋をするのかも?」と先を予測できるわけです。登場人物の精神的な欠落を理解することで、行動原理が理解できるようになり、先の展開も予測できるようになるというわけです。

この「欠如→解消」の型は、現代の物語だけでなく、古文にも当てはまります。むしろ、古文のほとんどは、「欠如」が根本にあると言っていいのです。入試で出題される古文でも、多くがこの構造で書かれています。

古文の読解をするとき、リード文や冒頭には、登場人物の「欠如」が描かれていることが多いです。そしてそれをよく読解すれば、その物語の大体の方向性が類推できます。たとえば、入試の古文の問題でよく出る設定にこんなものがあります。

「女は、夫が最近まったく家に来なくなったことを寂しく思っていた」

このとき、「欠如」は明らかです。「夫の不在=孤独」ですね。では、このあとの展開はどうなるでしょうか? 考えられるのは2つのパターン。

1.夫が戻ってきて、孤独が癒される(欠如の解消)
2.夫は戻らず、さらに寂しさが増す(欠如の強化)

重要なのは、どちらに進んでも「欠如」という軸をもとに読み進められるということです。欠如が「解消」されたのか、欠如がさらに「強化」されたのか。こういう見方をすることで、文章の方向性がぐっと読み取りやすくなるのです。


勉強する学生
写真=iStock.com/Milatas
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