死は誰にもやってくる。その瞬間をどのように迎えればいいのか。88歳の医師・帯津良一さんは「多くの患者さんをお見送りしてきました。皆さん、亡くなった後、ある瞬間からふっと“いい顔”、になります。生きていると多かれ少なかれ邪な心があるもの。亡くなるとそれが落っこちるのでしょう」という――。

※本稿は、帯津良一『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。

出典=『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)
イラスト=ミューズワーク(ねこまき)
出典=『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)

今日が最後の日と思って生きる

死から目をそむけず、死について考える、それも自分の死に時どきや死に方について考えることで、相手の死もわかるようになる、そんなふうに考えています。

医療の現場にいると、普通の人より死が近くにあります。医者や看護師はことさら死について考えたほうがいい、私はそう考えています。

ところが、日本の医療現場では「死」を語る機会がほとんどありません。死は誰にでもやってくるものですから、いまわしいものでも避けるものでもありません。むしろ、私にとっては、その日を迎えるのが楽しみでたまらない、希望に満ちた「旅立ちの日」です。

死は老いさらばえて朽ち果てるものではなく、日々、内なる命のエネルギーを高め続け、亡くなったその瞬間にエネルギーが爆発し、勢いよく死後の世界に出発する積極的なものだと考えれば、死ぬことも怖くなくなります。

これは特別な考え方ではありません。「生」と「死」はつながっていて、死んだら終わりということではないのです。

ただ、こういうふうに考えるのは、若い人には難しいかもしれません。

私も、人生が華やかになってきた、円熟味が増してきたと感じ始めた60歳の頃には、自分が死ぬとは思っていませんでした。70代になって、死の不安におののく患者さんの不安を和らげるためにも「今日が最後の日だと思って生きよう」と決めました。

これは、60代の頃に畏友いゆう・青木新門さんの著書『納棺夫日記』の「死に直面して慄いている人を癒やすには、人はその人より一歩でも二歩でも死に近いところに立たなければならない」という内容に出合ったことがきっかけです。

私の病院では、1週間のうちに一人、二人とお亡くなりになることが珍しくありません。患者さんよりも死に近い場所に立つには、「今日が最後の日と思って生きていくべきだ」、そう考えたのです。

ただ、いざとなるとそう簡単ではありませんでした。とはいえ、いつまでもぐずぐずしてはいられません。そこで、70歳になったその日から「今日が最後の日」と思って生きることにしました。

やはり亀の甲より年の功です。結果、できました。毎朝起きて、「よし、今日が最後だ! しっかり生きよう」、そう自分に言い聞かせていると、少しずつ板についてきました。そして、毎日の夕食は私にとっては最後の晩餐ばんさんになったのです。今日が最後と思えば、一日一日はより輝いて感じられるようになりましたが、正直、この頃はまだ死が遠いものでした。

80代になって、やっと死を現実視するようになってきました。特に、数年前に長年の相棒だった帯津三敬病院の初代総婦長が亡くなってから、より死が親しいものに感じられるようになったと思います。

長い人生経験を経て、心からやりたいと思ったことを成し遂げてきた人は、死に臨んだとき、これまでの人生に満足し、穏やかな心でいられるでしょう。

もし、後悔の念にさいなまれていることがあるのなら、過去を振り返って暗い気持ちで過ごすのではなく、反省すべきことを改善して、これからどう生きるかを考えましょう。

命のエネルギーを高めるのに手遅れということはありませんから。死について考えるのは年をとってからじゃなくてもいいのです。若い頃から積極的に死について考えましょう。死とは何か、自分はどういう死に方をしたいのか、そのためにはどう生きればいいのかを考えれば、自然によりよく生きるために努力するようになり、内なる命のエネルギーが高まっていきます。