死ぬ瞬間に命のエネルギーが爆発する

医療の目的は、治したり癒やしたりするだけでなく、「患者さんが生老病死を通じて人間の尊厳を全うする」のをサポートすることではないかと私は考えます。人間の尊厳とはどんなものでしょう。人それぞれだとは思うのですが、私自身は「日々、生命エネルギーを高めていき、死ぬ日を最高に持っていって、その勢いを駆って死後の世界へ突入する」ために、生きている間はもちろん、そして死後の世界まで攻めの養生を貫くことです。私にとって、死は生命エネルギーが爆発して、エイッと死後の世界に突入する旅立ちだと考えています。

養生と聞くと、体をいたわり、病気を未然に防ぎ、天寿を全うする……、そんなイメージがあるかもしれません。それはそれでいいのですが、私にはどうももの足りなく感じるのです。プログラムどおりというか、消極的というか……。

だから、80代になる手前から、日々生命のエネルギーを高めながら生き、死ぬ日を最高に持っていく「攻めの養生」を実践することにしました。酒もよし、美食もよし、女もよし、世間一般では不養生に当たることも、攻めの養生では最大のものとなります。生命エネルギーを高めるべく、毎日仕事に励み、晩酌を楽しみ、女性とのハグを楽しんでいます。

緩和ケアを受けている高齢の患者の手を取る看護師
写真=iStock.com/LPETTET
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死後の世界はある。きっといいところ

攻めの養生を達成させるためには、死後の世界がないと困るので「ある」と考えています。そこに疑問は持っていません。

私の考える死後の世界は、両親や妻や友人、仕事仲間など仲のいい人たちがみんなで迎えに来てくれる。そして、そこでは、自分のいちばんいい時代の関係が復活すると思っています。

例えば、幼なじみであれば子どもの姿で、好きな女性であれば70歳で亡くなったとしてもそのときの姿ではなく、私が好きになったときの姿でしょう。父は89歳で亡くなりましたが、父は若い頃の姿で、私ももちろん子どもの姿で会う、そんなふうに考えています。

だから私は、死んだあとのことをまったく心配していません。一日一日を「今日が最後」と生きれば、ご本人はもちろんご家族も死にあわてなくなります。私の病院で亡くなる患者さんは、ご本人は静かにそのときを迎えますし、看取ったご家族もあまり泣きません。それまでにできることはやったという気持ちがあるから、静かに送り出すことができるのでしょう。