親子ゲンカの決着もつけないまま…

そんな穏やかな雰囲気の中、打ち合わせが始まりました。遺影写真のことについては触れられないので、お話があるまではあえて聞かずに待つことにします。

「母ったら、親子ゲンカの決着もつけないまま死んでしまったのですよ。ずるいでしょ。いやな気持ちが残って仕方ないったらありません。本当に困ったものです」

そう話しだして涙をぬぐう優子さま。

白い菊の花
写真=iStock.com/MargarytaVakhterova
※写真はイメージです

「そうでしたか。今晩お母さまと話をされたら、いくらか決着はつきそうですか?」

そう尋ねると、優子さまはふっと笑って、「今となっては、こちらから一方的にどうにでも言えますからね。すっきりはしないでしょうけれど、今夜じっくりと話してみようと思っています」と答えてくださいました。

優子さまをきょうだいが囲むようにして話が進んでいきます。写真の話はまだ出てきそうにありません。まずは、お話をじっくりと聞かせていただくことにしました。

女手ひとつで3人の子を育て上げた

キリさまのご主人――優子さまのお父さま――が他界されたとき、キリさまは30歳。お兄さまは10歳、優子さまが8歳、妹さまは5歳でした。キリさまは女手ひとつで3人の子を育てる運命に遭遇したのです。

なりふり構わず働き詰めとなったキリさまに、まだ状況が理解できなかった幼い子どもたちはわがまま三昧だったと言います。しかし、現状を少しずつ把握しはじめたお兄さまが妹たちに言い聞かせるようになり、3人で母親を手伝うようになったようです。

とはいえ、朝から晩まで働き詰めのキリさまは疲れもあったのでしょう、気分次第で子どもたちに当たり散らすこともありました。優子さまは、そんなお母さまのことが今でもいやな記憶として残っていて、その頃のことを思い出すと許せない気持ちになると話してくれました。

お母さまのことを話す優子さまの表情は、その内容によって笑ったり険しくなったりとさまざまに変化し、複雑な胸の内が透けて見えるようです。お母さまとは、たまに時間ができたときに縁側でお茶を飲むのが幸せでたまらなかったとも話します。