お通夜の場だから言えた子ども側の葛藤

「今思えば、母は子どもたちのために時間を作ってくれていたと思うのです。母と2人きりで過ごすときは、いつも穏やかで優しく抱き締めてくれました。でも、きょうだい3人がそろうとケンカが始まってしまうので、母も優しくしてはいられないといった状況だったのでしょう。結局、いつも怒鳴ったり怒ったりしていたように記憶しています。私たちの存在が疎ましいのかな? と思うことも多くありました。感情的になった母は『あんたたちなんていらない!』と言うこともあったからです。子どもですからね、その言葉を真に受けて『お母さんなんていなければいい』と言ったこともありました。言ったそばから後悔しましたけれどね」

母子が写っている写真アルバム
写真=iStock.com/Halfpoint
※写真はイメージです

優子さまは、頭の中をぐるぐると巡る葛藤を、通夜という場で吐き出してしまおうとしているようでした

「参列される皆さんは笑うだろうけれど…」

そしてしばしの沈黙の後、遺影写真のことを語りはじめました。

「この写真を遺影にするのは母の希望でした。母はこの写真を、『私が一番きれいに写っている』『この頃の自分の顔が好き』と言って気に入っていました。私たち子どもを育てる幸せをかみ締めていた時期に写した写真だからだそうです」

「父が亡くなって、生きていくのに必死だった数年間が過ぎ、子どもたちがいくらか成長して手伝ってくれるようになったとき、『ああ、この子たちと生きてきてよかった』と心から思ったそうで。『いつか、子どもたちが巣立つ日がくることを思って泣くこともあった』とも言っていた母は、『どんなに苦労をしても、一緒に泣いたり笑ったりケンカしたりできることは幸せだ』とよく言っていました」

「それを実感していたのがこの遺影の写真の頃、40歳くらいのときだったようです。『参列される皆さんや葬儀社の皆さんは笑うだろうけれど、お葬式はあなたたちが出してくれる、私への最後の贈り物でもあるから、私の願いを聞いてほしい』それが母の遺言でした。だから、堂々と飾らせてもらっています」と、優子さまは涙声で話してくださいました。

隣で、お兄さまも妹さまも泣いています。近くにいた高学年のお孫さんたちも、泣いている親の姿に一緒になって泣きじゃくっています。意味のわからない小さなお孫さんたちは、ただ驚いている状況でした。