大手総合商社に入社したが、4カ月でダウン

【田原】総合商社に入社したものの、4カ月でダウンして辞めてしまう。

【安田】これにはいくつか原因があります。1つは発達障害。僕は感覚が過敏で、革靴を履けないんです。無理して履いていたら水虫になったのでオフィスで靴を脱いで仕事していたら、上司から叱られました。あと、人と距離が近いのも苦手で、満員電車にも耐えられませんでした。早朝出勤という手もありましたが、発達障害は睡眠障害が出やすくて、朝早く起きることもできなかった。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】そんなの、通気性のいい靴を履いたり、睡眠薬を飲んで眠ればいいんじゃない?

【安田】おっしゃるとおりですが、当時は気がつかなくて。あと、そもそも意味のないルールを押しつけられることに根本的に耐えられなかったんだと思います。内勤なのに革靴を履けとか、朝に会議があるわけじゃないのに9時に来いとか、正直、意味がわかりませんでした。

【田原】辞めた原因はほかにもある?

【安田】配属が希望と違うことも大きかったです。僕が就活していた時代は、尖った若手を採用したいという空気が強くて、人事から「若手でもやりたい分野で活躍できる」と言われて内定をもらいました。当時は幼くて、それを信じちゃってましたね。

【田原】体調を崩して病気になったらうつ病の診断を受けて、会社を辞めて引きこもるようになった。そしてその後、自分が発達障害だと知る。僕は発達障害のことをよく知らないのですが、どういうものなんですか。

【安田】いまメガネをかけてる人は、メガネがない時代だったら視覚障害。つまり社会に合わせられない何かがあることを「障害」と言います。発達障害も同じで、たとえばみんなと同じ服や靴を選べないこともあれば、人の話を聞けなかったり、ジーッと座っていられないなど、現代社会において、まわりとうまくやっていくことが難しいという特徴があります。

【田原】それで、安田さんはどれくらい引きこもってたの?

【安田】1年くらいですね。

【田原】それから人を教える仕事に就こうと考えた。どうして?

【安田】何かしないと食っていけなかったので、とにかく働こうと思いました。ただ、サラリーマンになったらまた同じことを繰り返すだけなので、おそらく無理。僕がかろうじて持っていたスキルと言えば、英語を使えることと、勉強ゼロの状態からやり直して大学に合格したことくらい。それらを活かして自分で何かやるなら、塾しかないと考えました。

【田原】ただ、普通の学習塾ではなく、引きこもりや中退者など、学校教育から零れ落ちた人を立ち直らせて大学合格を目指す塾にした。どうしてそんな塾をやろうと思ったのですか。

【安田】もともと勉強ができる人を東大や早慶に入れる塾は世の中にたくさんあって、魅力を感じませんでした。また、そうやって誰かを合格させてもほかの人が落ちるわけで、ゼロサムゲームみたいなものに参加するのも何か違う。やりたいのは、本当に困っている人を助けること。僕は十代のころ進学塾に行ったもののまわりについていけず、バカにされた経験があります。そういう思いをしないでいい塾をつくるのは社会的に正しいことだし、ニーズもあるんじゃないかと考えました。