暴力団排斥が強調されるようになるのも、この頃だ。1983年、暴力団締め出しのために警備の人数が倍増され、浅草神社奉賛会も「伝統」を汚させないために積極的に協力している。

掲示された祭りのポスター(画像=著者提供)

そして三社祭の伝統は、各地に輸出されるようになる。1984年には、熊本の清正公祭りに、神輿渡御のお手本として招待された。清正公祭りは当時それほど盛り上がっておらず、「本場の担ぎ」を手本として披露したのだ。

1986年には、フランスのパリに行き、シャンゼリゼ通りで浅草神社の本神輿を担ぐという話が持ち上がる。この時には、「神道文化の全くない海外で、見世物のように神輿を担いでよいのか」という異論が出た。さらに問題だったのは、予算とスケジュールだ。形式的にはフランスからの招待だが、担ぎ手の渡航費は各自が負担しなければならなかった。また、三社祭直後の6月に渡仏しなければならず、そもそも祭で仕事をしていないのに、その後すぐに数十万円を自分で負担して10日近く渡仏するのは現実的ではなかったのだ。だが、実行できた人もそこそこいたようで、三社祭の5日後にはパリ遠征のための壮行会が行われ、無事に実現している。

2000年代に入ると、「神輿乗り」問題が顕在化する。観光客の増加とは裏腹に再び担ぎ手が不足し、各町内は同好会を組織して、関東以外も含めた各地から担ぎ手を呼び込むようになっていた。そして、これら同好会の幹部たちが最終日、本神輿に乗るようになったのだ。神社側からすれば神様の乗った神輿を足で踏むのは「冒涜」だが、一部の担ぎ手には「見せ場」という意識もあった。

06年には、本神輿に10人以上が乗って担ぎ棒が折れる事件が起き、07年は神輿乗りをした7人が都迷惑防止条例違反(混乱誘発)容疑で逮捕されている。08年には、本神輿の宮出しが中止される事態に陥った。

「我々」と「よそ者」という対立軸

こうした流れを、「前近代的な祭りにも近代的なコンプライアンスが適用されるようになった」とする見方は少し単純だろう。そもそも三社祭自体が戦後になって作られた伝統だ。神輿乗りが本格化したのも、1980年代になってからである。その頃の写真を見ると、各町内の神輿にはしばしば人が乗っているし、その状態で浅草駅構内まで入っているものまである。

興味深いのは、「(神輿に乗るのは)ほとんどがよそから来た人たち」(地元商店主)といった語りだ(読売新聞2007年5月17日)。三社祭が破格の地名度を獲得したがゆえに、観光客も含めて多くの来訪者を招くようになり、その結果、「自分たちの祭り」がよそ者に乗っ取られるといった感覚が強化されたのではないか。近代か伝統かだけでなく、三社祭の大規模化とともに、「我々」と「よそ者」という新たな対立軸が生まれたのだ。

こうした問題は、祭りが神事であるとともに、観光資源として流用される現代では、ますます多くの地域で見られるようになるだろう。よそから担ぎ手がやってきている祭りは全国で珍しくない。「らしい」イメージ構築を追求し、それに成功したからこそ、多くの他者を招きよせる――三社祭は、現代における宗教と観光の間にどのような距離をとるべきかを考えさせる。

岡本 亮輔(おかもと・りょうすけ)
北海道大学大学院 准教授
1979年、東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。専攻は宗教学と観光社会学。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『宗教と社会のフロンティア』(共編著、勁草書房)、『聖地巡礼ツーリズム』(共編著、弘文堂)、『東アジア観光学』(共編著、亜紀書房)など。