しかし、喜びもつかの間、すぐさま国家試験という最大の難関が待っていました。彼女との結婚がかかったこの試験だけはなんとしてでも受からなければなりません。両親には卒業試験に合格した際に、「結婚したい人がいる」と打ちあけていましたが、案の定、「認めない」「とんでもない」と反対されました。両親はかねがね、病院つきのお嬢様のところへ私を婿入りさせる気でいたからです。しかし、私にはみじんもその気はありませんでした。「もう決めたんだ。国家試験に受かったら結婚する。反対なら反対でもいい。結婚式には父さんたちを呼ばないまでです」と宣言しました。頑固は父親譲りでもある気性です。

そんないきさつもあり、医師国家試験は私と妻にとってはどうしても受からなければいけない人生最大の試験になりました。

そこで、過去10年間に出題された、いわゆる「過去問」を徹底的にリサーチし、ヤマを張ることにしたのです。そのとき大いに役立ったのが、10代の頃に夢中になった高校野球の予測分析と、妻の支えでした。ヤマは見事に当たり、医師国家試験に合格することができました。ここでもまた私は、興味を感じる対象には過剰ともいえる集中力が向けられ、もくもくと努力することができる「発達障害」の特性に助けられたのです。

自分の障害を「俯瞰」できるようになった

私は自身も発達障害の当事者であるためか(気がついたのは研究してしばらくたってからのことですが)何かに導かれるように発達障害の研究をライフワークとし、40年以上も夢中になって、臨床、研究に打ち込んできました。その一方でこの分野の医師や研究者を目指す学生への教育指導活動や、発達障害への理解をうながす啓発にも情熱を注いできました。発達障害を抱える私がなぜ今日まで医者としてやってこられたのか、不思議に思われるかもしれません。それはひとえに妻をはじめとする、多くの先輩や友人、同僚たちの理解とサポートのおかげであり、寛容と愛情あってこそだと身にしみて感じています。