気づいた「自分」に注目せよ

もう1つの例は、研究会で、ある小売業の方から聞いた、自社のコミュニティーサイトへの書き込みに気づきがあったというエピソードです。

以前から販売していた照明ランプについて、それまでは性別や年齢のような顧客の属性はあまり意識せず、総じてデザイン性や機能性をアピールしていました。しかし、複数の女性から同じような書き込みがあり、女性が買っていることとともに、その明かりがあれば小さな子どもが安心して寝られるからという購入の理由もわかりました。その方は「あ、そうか」と思い、照明ランプの紹介の仕方を少し変え、母親と子どもが一緒に寝ているシーンの写真などを載せることにしたそうです。

顧客の声から思いがけない気づきを得たわけですが、書き込みがあったといっても、たかだか数人のはずです。その女性の声は例外ではないか、という疑問が出てきても不思議ではないでしょう。上司から、アンケート調査し、データに基づいて提案すべきではないか、という指摘も受けそうです。

しかし、リサーチをしても、正しい結果が得られるかどうかはわかりません。ここで大事なのは、その女性の声を聞いて、何かに気づいてしまった「自分」に注目することです。なぜその声を聞いて「あ、そうか」と思ったのか。その理由を問い直してみるのです。ポイントは、自身を金魚鉢の中を泳いでいる金魚であるかのように捉え、その泳ぎ方や振る舞い方の成り立ちを、じっくりと眺めてみることです。

この場合、自身が子どものいる女性であれば、自分の気持ちと一致していたからかもしれません。男性であれば、奥さんがそうだったのかもしれません。あるいは、日常的な理解として、子どもや女性は暗いところを怖がるだろうと考えたのかもしれません。もしかすると自分が子どもの頃、同じような状況の下で誰かが明かりを用意してくれた記憶があったのかもしれません。

自分がそう思ってしまった理由を改めて問い直し、それを社内でも議論してみることで、「あ、そうか」と思った理由がよりはっきりと理解できるようになります。この考え方は、「みんながそう思っているかどうか」を確認する手がかりにもなります。自分の思いを問い直すことは、それが孤独な思い込みではなく、これまでの自分自身の経験によるものだったということ、つまり、自分がみんなと一緒にこの世界を生きていると改めて確認することになるからです。書き込みを見て、「あ、そうか」と思えたこと自体が、すでにこの世界とつながっている証拠であり、一般性の担保へとつながります。確信を問い直し、その向こう側に自分たちが生きている世界を発見する。これこそが本質直観といえます。

最近、博報堂のフィロソフィーである「生活者発想」を知る機会がありました。言葉からすると、生活者や消費者のことを考えようという外向きの発想のようにも見えます。けれども、同時に、生活者発想では、あなた自身が掘るべき井戸であり、生活者とはあなた自身にほかならないということが指摘されています。自分の内にたどることと生活者を知ることが折り重なっていることがわかります。

(構成=増田忠英 写真=時事通信フォト)
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