ダレてきてからが充実する

あたり前ですが、ダラダラしていると、ダレてきます。2時間くらいまでは、シャキッとできますが。今までいろいろと試してみた結果、3時間くらいから、「ダレ」によって会議がおもしろくなっていったことがよくありました。

大学の講義でも、実験的に、時間の終わりを決めないダラダラなセッションをやってみました。人間のコミュニケーションにおける「信頼づくり」というテーマで、特に正解や結論のない抽象的な議論を延々としてもらいました。正解はなくても、新しい発見や提案はできます。

膨大な時間を設定するために、宿泊施設での合宿にしました。夜7時頃から始めて、途中で寝てもいいし、抜け出してもいいし、徹夜してもいい。そんなファジーな設定で実践してみてわかったことは、やはり2時間を超えたあたりからその場にいろいろと変化や発展が起きてくるということです。

初めのうちは、それぞれの立場や役割、期待イメージに引っ張られて、場は硬直します。発言力のある人や年上の人、話好きな人がとりあえずしゃべり続けます。これだけで2時間は経ちます。ここで終わったら、なんだかなぁって感じです。まとめるのが好きな人が、なんとなくまとめた感じにしたりして。

ここで終わらずに続けていると、しゃべる人もしゃべり尽くします。「他に何かない?」と周りの人にも意見を求めざるをえなくなります。ここまでくると、「遠慮」というものもあんまり機能しません。発言権がバラまかれる感じです。あるいは、じっくりと考えてまとめてから意見発言したい人もいて、口をひらきだします。発言にかかる時間は人それぞれです。テーマによっては、それが短ければいいってものでもありません。

そして、「遠慮」から解放されていろいろな言葉が飛び交うと、中には誰かの感情を刺激するようなものがポッと出てきます。それは、誰かをイラっとさせることかもしれないし、すごく共感させることかもしれません。いずれにしても、それをきっかけに、ムキになったり、ハイテンションになったりして「型」が崩れてきます。

加えて、3時間も4時間もすれば、自然と休憩をはさむことになって、買い物に席を立つメンバーや、そのままテーブルに残って「ちょっと非公式な感じ」で議論を続ける人もいたりします。そこに抜けたメンバーが戻ってきて、「どんな話してたの?」と聞いた時に、脱線してたつもりの話をまとめようとすることで、新しい発見が生まれたりもします。