起業家精神あふれる若者に慕われる理由

小松さんは、2012年には復興連絡協議会戦略室の活動を引き継ぎ、NPO法人アスヘノキボウを設立し、代表理事に就任した。創業支援、移住者誘致を皮切りに様々なプロジェクトに取り組み、女川のみならず全国各地を飛び回っている。

特筆に値するのは、そんな小松さんに引き寄せられ、起業家精神あふれる若者が続々と集まってきていることだ。

そんな若者のひとりが梶屋陽介さんだ。

2年前に国産ギター専門店GLIDEを仙台につくった梶屋さんは今年1月、ギターの製造工場を、前出の小松さんがまちづくりをしていた女川にオープンした。都内の大手楽器店に勤めていた彼は、震災後のボランティアがきっかけで三陸に惚れ込み、地元の木材を使ったギター作りに取り組みはじめた。

「素材まで純国産のギターはほとんどありません。三陸の木材はすごくいい音が出せるので、ここでしか作れないギターを作って、日本だけでなく世界に届けていきたいと思っています」(梶屋さん)

左:「女川に工場を作ろうと思ったのは、まちの人々がとても協力的で応援してくれるから」と梶屋さんは語る。(撮影=和田剛)右:震災前は主婦だったという阿部鳴美さん(前列右から2番目)。セラミカ工房は女川に新たな雇用とやりがいを生み出している。(写真提供=NPO法人アスヘノキボウ)

移住者だけなく、地元住民による起業も盛んだ。

2015年12月に新しくオープンした女川町の駅前商店街にある、NPO法人みなとまちセラミカ工房。その店頭には、色鮮やかなスペインタイルが並ぶ。代表の阿部鳴美さんは、震災後にスペインとの交流事業に参加したことがきっかけで、陶芸サークルの仲間たちとタイル工房を始めた。

「経営なんてしたことがなかったので立ち上げは大変でしたが、多くの方々に支えられて工房を始めることができました。色を失ってしまった女川のまちを、スペインタイルで明るく彩っていきたいです」

震災翌年に仮設商店街の一角で始めた工房は、今では10名をこえる地元の女性たちが働く場へと成長している。

震災から5年を経た今、リクルート出身の小松さんはその手腕をさらに振るわんと活動領域を広げている。最近では、行政の統計データを活用した地域の課題解決や、地元水産事業者の海外進出支援にも取り組み始めている。彼にとって、女川は新しいことを始めるチャンスにあふれたフィールドなのだろう。

「直感にしたがってリクルートを飛び出したのは正解でした。まちづくりを通して復興に関わることは、他では得られないおもしろさがあります。女川を“日本で一番チャレンジに優しいまち”にしていきたいですね」

石川孔明
1983年愛知県吉良町生まれ。地元愛知県にて漁網のリユースで起業後、外資系コンサルティングファームを経てNPO法人ETIC.へ。社会起業家や起業、行政を対象としたリサーチ&コンサルティングを担当。2011年に世界経済フォーラム・グローバルシェイパーズコミュニティに選出。リクルートワークス研究所客員研究員。
 
NPO法人ETIC.(エティック)
1993年設立、2000年にNPO法人化。起業家型リーダーの育成を通した社会・地域づくりに取り組む。東日本大震災後、東北のリーダーを支えるための「右腕プログラム」を立ち上げ、これまでに127のプロジェクトに対して、228名の経営人材を派遣している。2013年度からはジャパン・ソサエティーの支援のもと日米交流プログラムや助成プログラムも実施。
http://www.etic.or.jp/
(ジャパン・ソサエティー=取材協力)
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