【田原】なるほど。それで工場を探すところから始めたと。それまで準備はしていなかったのですか?

【中澤】はい。スマホの設計図も飛行機の中で描きました(笑)。

【田原】中国はどうでした?

【中澤】一緒に行った岩佐さんは、中国に着いたら「僕はここまで。あとは頑張って」とどっかに行っちゃいました。一応、日本から1件だけアポを取っていったのですが、「駅で0時に」と約束しただけで、先方の電話番号もわからない状態。工場の人と会えて車に乗せてもらったものの、山道を3時間走っても到着しませんでした。正直、怖かったです。

【田原】結局、工場は見つかったの?

【中澤】はい、深セン(※)の工場です。カシオ時代に携帯の工場を見ていたので、一目見てここは品質が高いとわかりました。詳しく話をして、その場で仕様も決めて発注しました。 ※=土の左に川

【田原】サンプルを発注したの?

【中澤】いえ、普通はサンプルをチェックして、何度かやりとりした後に量産という流れですが、それでは時間がかかりすぎます。そんなに時間をかけるつもりはなかったので、その場で1万5000台を発注しました。最初から量産してもらえば、企画から2カ月で販売できます。

【田原】いきなり1万5000台はすごいね。でも、売れなければ不良在庫です。不安はありませんでしたか。

【中澤】自分で担いで売り歩けば、1万台くらいは売り切る自信がありました。その1.5倍を努力目標にして、とりあえずつくってみたという感じですね。