敬語とは社会的な役割に基づく演技である

「上司のことを深く尊敬しているわけでもなければ、顧客のことを神様と思っているわけでもないのに、なぜ、敬語を使うのでしょうか。端的に言ってしまえば、人間関係を良好に保つため。周囲への大人の配慮です」

一橋大学国際教育センターの石黒圭教授に、ビジネスメールにおける敬語について教えていただいた。

「ですから、敬語の使い方に失敗して、人間関係をこじらせてしまったら敬語を使った意味はありません。敬語はそれ自体が目的ではないのです。敬語は社会的な役割に基づくもの。上司と部下、店員と客という役割を演じることが求められているのです。ですから、私は大学では学生に敬語で声をかけられますが、家では娘に『馬になれ』と命令されています。それは全く不自然ではありません。職場では教師を演じ、家庭では父親を演じているからです。同じ親でも威厳ある父親を演じるときもあれば、優しいパパを演じることもあります。敬語は周囲の人間との人間関係を悪くしないことを目的とした社会的な役割に基づく演技なのです」

敬語というと、「目上・目下」という上下関係にともなう丁寧な言葉遣いという縦軸でとらえられがちだが、実は「親しいか疎遠か」という横軸も重要だと石黒教授は指摘する。

「敬語は、欧米のポライトネスという言語学の概念で捉えられることが多くなりました。ポライトネスは、日本語に訳すと、丁寧という意味になりますが、原語には友好的という意味も含まれています。つまり、人間関係を良好に保つには丁寧一辺倒ではダメで、フレンドリーな姿勢で相手との親しさを示す必要があるのです」

敬語は相手との距離を遠ざける道具だ。親しくなるにつれ、敬語は外れてくる。上司とも親しくなるにつれ、重い敬語から軽い敬語へと変化する。しかし、うかつに敬語を外しすぎると相手から「なれなれしい」と不快に思われ、逆に敬語を使い続けると「よそよそしい」と思われてしまうから難しい。

なれなれしくてもよそよそしくてもダメ

「敬語は『なれなれしい』と『よそよそしい』の間に、いかに適当な心理的距離感を見つけるかという、書き手と読み手の駆け引き、間合いと考えたほうがリアルでしょう」

いろいろなキャラクターがある。親しさを優先する人はどんどん敬語を外すだけでなく、プライベートな話題を放り込んでくるし、反対に距離をとりたい人は丁寧な言葉を使ってブロックする。

とはいえ、使い慣れない敬語。ついつい過剰になってしまうのもよく指摘されることだ。