「妖怪図鑑」誕生の秘密

それまで存在しなかった妖怪“図鑑”を石燕が発明した理由について、気鋭の妖怪研究家である香川雅信さんは、次のように述べています。――江戸時代は博物学が盛んになった時代である。いろいろな薬草を採ってきて薬にする「本草学」などが発達するにつれ、人々の関心が自然界に向けられるようになり、そこにあるものを収集、分類しようという動きが出てきた。そこで植物図鑑や昆虫図鑑をつくるのと同じように、石燕は妖怪図鑑を描いたのではないか。

歴史クイズ(正解は本文最後に)

石燕が妖怪たちに目に見える形を与えたことにより、江戸時代の人たちは、妖怪で遊び始めます。妖怪の存在を信じていたというより、不思議で怖いものを空想して楽しんだのですね。

しかしそれは江戸に住む人たち、いわば都市生活者だけ。地方では依然として、妖怪や精霊などに対する信仰が息づいていました。日本には自然そのものを崇拝し、万物に神が宿るとするアニミズムが残っています。だから古くなった器物には付喪神(つくもがみ)が宿るし、自分の生まれた土地には産土神(うぶすながみ)がいると考える。したがって、暗くて怖い場所や危険な場所には、妖怪がいると考えても不思議ではありません。実際、妖怪は特定の場所と深く関わっています。「小豆洗い」は川で小豆をといでいるし、「油すまし」は峠に出没すると決まっているのです。