──「地獄の奄美大島キャンプ」の野手の基本メニューは次の通り。〈午前〉キャッチボール&ペッパー、ティー打撃、バント練習、フリー打撃(メーン球場と室内の六カ所でローテーション)。〈午後〉ノック(内野マンツーマンで40分間、室内で送球、捕球の基本動作チェック、外野4選手だけで2時間)、走塁練習、強化ランニング([1]300メートル54秒以内→一分間休憩→200メートル36秒以内→1分間休憩→100メートル18秒以内を1セットで計5セット、[2]3000メートル走)、宿舎で素振り。

【中畑】初日から選手たちがバタバタ倒れた。でも、選手は練習をやめない。メニューをまっとうした。真っ暗の中で走り切った。それを見て胸が熱くなった。このチームは強くなると確信した。

「地獄の奄美大島キャンプ」なんて言われたけど、私もジャイアンツ時代に長嶋茂雄監督による「地獄の伊東キャンプ」を経験した。伊東キャンプは私の一生の財産だ。一緒に汗水垂らして、苦しい時間を共有してね。ヘドを吐いてついていった。

──ジャイアンツ時代の「伊東キャンプ」を振り返り、中畑はこう語っている。

「あんなに厳しい練習は初めて。午前中は守備練習で、初日から千本ノック。昼飯はカレーライスで、私はカレーは大好きなんだけど、食べた瞬間、全部吐いちゃった。午後からは特打ち。1日1000スイングがテーマだから、振って振って振りまくった。それから階段上りをやり、腹筋をやって、夜はまた素振り。宿舎には温泉があるんだけど、風呂の洗い場で、みんなマグロみたいに寝ているんだから。起きている間は野球のことしかなかった」(鈴木利宗著『地獄の伊東キャンプ 1979年の伝道師たち』大修館書店刊より)

長嶋監督(当時)が直々にバットを握り、スパルタ式にノック練習をした。痛烈なノックを受け、中畑は「左右に走らされるのが嫌で徐々にノッカーに近付いていった」と言う。それが結果的に心理的距離も縮め、スーパースターであった長嶋と選手たちの絆が強まったのだ。中畑は若手選手時代に「長嶋二世」と評されたことがあった。監督となった今こそ、「長嶋二世」「魅せる野球」を目指しているようだ。

【中畑】野球は個人プレー的な部分も色濃いけど、同じ苦労を経験すると、一体感が生まれる。簡単に「絆が大事だ」というけれど、絆は楽しいことばかりをしていても生まれない。

人間の感じる「苦しさ」には様々なレベルがある。苦しい練習、容赦ないシゴキに耐えるとそのレベルが上がる。レベルが上がると今までの練習が簡単に思えてくる。そうなればどんどん上達する。しかし、人間は弱い動物だから、それを自らの力で引き上げるのは難しい。ハードルを引き上げてやるのが監督の仕事。鬼にならないといけない。地獄へ連れていってやる。もちろん監督も一緒に地獄へ行く。