――そこまで言っておいてなぜ書かれなかったんですか?

【助川】うーん、書いていくうちに、逆に2人の違うところのほうが気になってきてしまったんです。宮崎さんの作品は、戦後の日本文化とか、古くからの映画史の文脈で理解できるところがすごくあるんですが、村上春樹のすごさとか面白さとか、これだけ世界で受けている理由とはかなりズレているんですね。あと、やっぱり宮崎駿の場合、監督としてのスタイルは初期のうちに確立されていて、テーマがどんどん変わっていくかたちですが、村上春樹はもっと本質的な意味で変わっていっている気がします。

――似て非なる、ということですね。

【助川】ただ、女の子の趣味は似てますね(笑)。村上春樹も宮崎駿も基本的に「ふかえり」みたいなおっぱいの大きい女の子が好きですから。宮崎駿があるインタビューで「なんでナウシカとかあなたの描く少女は巨乳なんですか」って聞かれて、「いや、おっぱいの大きい女の人に抱かれて死んでいかないと戦士は死ねないんだ」とか、わけのわかんないことを言ったとか言わないとか。

――村上春樹の小説に出てくる女性ってロボットみたいですよね。

【助川】そういう意味でやっぱりオタク的なんでしょうね。実在の女性というより、2次元の世界かゲームの世界から出てきたみたいな感じで。村上小説の男女の会話を読んで「こんな話し方する女の子なんかいない」と怒る女性多いですけど、あれは外国映画の吹き替えだと思えばいいんですよ。セリフ回しですよね。

――それはそれでもう、1つの芸の域ですが。

【助川】村上春樹は大学は映画演劇科で、早稲田の演劇博物館で映画のシナリオを読んでいたというんですけど、多分そのときの経験で女性の会話を書いていると思いますね。

だけどこの人、映画監督にならなくてよかったなと思います。ちょっとこの本の中でも引用しましたが、川本三郎との『映画をめぐる冒険』という本があって、これは春樹の書いたもののなかではいちばんの黒歴史じゃないでしょうか。『村上朝日堂』シリーズと同じように、他愛もない話から始めて、そこから飛躍して本題に入って、最後に「それにしても」って関係ないことをボソッとつぶやいて終わりにするスタイルなんですが、それを400字でやるから、肝心の、映画についてコメントするスペースがなくなって、誰と誰が出てる西部劇、ぐらいしか書けてないんです。共著だからなのかもしれませんが、映画評論はあまり面白くない。初期の頃に書いている文芸評論なんかは相当に面白いのに。向き不向きってあるんですね。やっぱりこの人は言葉の人なのだと思います。