自主性に任せるだけでは何が足りないか
僕はこれまで子供たちには「好きなことを学べばいい」と伝えてきたし、できる限りサポートもしてきたつもりです。しかし最近、それだけでは足りなかったのではないかと思うようになりました。
では、何が足りなかったのでしょうか?
一言でいうと、幼い頃からの親子のコミュニケーションです。今述べた通り、僕は「子供の自主性に任せる」主義でやってきました。しかし選択の自由は与えたものの、それまでの迷いや選択してからの悩みには寄り添ってこなかった。つまりコミュニケーションの量が不足していたのです。
当の子供たちに言わせると、「確かにお父さんは何も言わない。でも、無言のプレッシャーがある」。無言のプレッシャーを与えるんじゃなく、少しずつでも声をかけて、折々の子供の悩みに応えてあげる必要があったのだと思います。成人する頃になって父親があれこれ意見しても、長い間のコミュニケーションの土台がなければ伝わりませんよね。
僕は「ハインリッヒの法則」を組織論で語ることがあります。大きな事故の背後には必ず小さなトラブルがたくさん隠れている。そんなことを偉そうに言ってきた僕ですが、考えてみれば家庭でも同じなんです。日々の小さなサインを見逃していると、気づいたときには大きなトラブルが起きてしまう。わが家の問題に直面して大いに反省しているところです。
ただ、「橋下さんはお子さんが小さかった頃は、公職にあって激務だったでしょう」と慰めてくださる方もいます。僕自身、そう考えて公務を優先し、子育てはすべて妻任せにしていました。
でも、それは単なる言い訳だったと今になって思うんです。だって僕よりはるかに激務だったはずの小泉純一郎元首相も、お子さんたちとの時間を何とか捻出していたと聞きます。実は大阪府知事の吉村洋文さんも、超多忙の中できちんとお子さんと向き合っているんですよね。
吉村さんのお子さんとうちの子、たまたま同じ学校を受験する機会があったんです。当然のように僕は仕事へ向かい、受験会場への付き添いは妻に任せましたけど、吉村さんは付き添っただけじゃなく、なんと全受験生に向けて盛大にエールを送っていたんだとか。「吉村さんは来ていたわよ」。あとで妻にチクリと言われてしまいました。
要するに「忙しいから家族と向き合えない」というのは言い訳なんです。そしてその結果は、10年後、20年後に必ず自分に返ってくる。現在子育て真っ最中の皆さんは、ぜひ僕を反面教師に、お子さんときっちり向き合ってください。
今、おむつ替えや夜泣きに追われている方、「明日も仕事なのに」とげっそりしている方、思春期の子供に振り回され、毎日イライラしている方もいるかもしれません。でも、そうした日々の関わりが、将来の親子の対話の基盤になります。どうか、頑張ってください。そして、僕へのアドバイスをお持ちの方、ぜひプレジデント編集部にメッセージをお寄せください!


