フジテレビの役員との共通点

結局、「謀」を嫌い、勝敗を度外視して正面突破を意図する新田義貞の考えが、後醍醐天皇側を支配し、正成は従うほかなくなり、絶望的な状況で建武3年(1336)5月25日、楠木・新田連合軍として湊川(神戸市中央区、兵庫区)で足利軍に対峙。義貞と分断されたのちに敗北して、弟の正季と刺し違えて死んだと伝えられます。

これが「天皇への忠誠心の模範」と讃えられた楠木正成の最期ですが、私には、さぞかし無念であったと思えてなりません。時代が読めない天皇の失政によって、武士の不満が高まって大きな反政府勢力になりました。その責任は、ほかならぬ後醍醐天皇にあったとしか考えられません。

しかし、天皇親政を成功させるなら、足利尊氏を取り込むしなかいと判断し、そう進言しても受け入れられず、尊氏と戦うなら奇策に打つしかないと訴えても却下されます。そもそも時代を動かす武士から強い反発を受けている状況で、勝ち目はないと考えていたようです。それでも、頑迷な後醍醐天皇に最後まで従って滅びました。

夜のお台場・フジテレビ社屋
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気の毒ですが、見方を変えれば、被害者を度外視して会社への忠誠を守り続けたフジテレビの役員や幹部社員と、同じ姿勢だといえないでしょうか。国民も国土も顧みずに「天皇のため」と詭弁を弄して戦争を遂行した戦前の軍部の姿と重なることは、いうまでもありません。

楠木正成は「謀」が得意な才能ある武将でしたが、天皇に抵抗されると判断力を失い、思考停止に陥りました。それを「忠誠心の模範」と礼賛することには、現代に生きる私たちは慎重であったほうがいいと思うのです。