暢の最初の夫は召集されて病死、生活に困って新聞記者に

亡夫との間に子どもはなく、暢は貯金も食べるモノも尽きて困窮する中、総一郎の宝物だったカメラだけは手放すことができず、そんなときに目に留まったのが高知新聞の広告欄だった。そこには「女性記者求む。給与等条件は応相談」とあり、カメラを持っていることもあり、応募し、入社するに至ったのだ。

ちなみに、『やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯』によると、やなせとの初対面は、実は戦後間もない頃。暢が仕事道具の入ったカバンを幼い兄弟に盗まれ、追いかけて取り戻した先で、飢えた幼い兄弟に自分のパンを与えていたのが、やなせだったとある。しかし、涙を流すやなせに名前も聞けないまま、高知新聞で再会を果たすことになる。