子供の学力はこれからもっと二極化する
赤ちゃんからお年寄りまで含めて今、一番生成AIを使っているのは大学生でしょう。うちの研究室の学生は全員、使っています。主にChatGPTとGeminiを使って、調べものもしているし、論文作成にも活用しています。
私自身も、毎日使って仕事をしています。3年前、ChatGPTがリリースされたときから、学生に出すテストの作問に利用しています。すると、導入した年には、及第点が取れない学生が続出したのです。
大学のテストは担当教員が作ります。私が作問すれば、どうしても池谷のクセが出る。問う知識も得意分野に偏重します。
一方、生成AIは試験範囲の幅広い分野から作問します。常識的な問題が多いという特徴はありますが、それで学生の点数が落ちたということは、基礎的な知識が身についていなかったということ。薬学の基礎を体系的に学ぶのではなく、「池谷対策」にたけている学生を育てていたという、おかしな教育をしていたかもしれないということです。
しだいに学生たちは慣れて、生成AIが作りそうな問題を予想して、しっかり点を取るようになっています。以前は私好みに教育してしまっていたわけで、それでは社会で通用する力とはいえません。生成AIを使ってテストを作るようになってからのほうが、彼らはしっかり勉強するようになったし、偏らない知識を持った優秀な学生が育っている実感があります。
生成AIが普及したことで、子供の学力はこれからもっと二極化していくかもしれません。
作文など自分の宿題を代わって書いてもらいそのまま提出するといった、楽をするために使う子は学力がますます下がってしまうでしょう。その一方で、うまく使えば自分の学びを深め、できることの可能性が広がります。
たとえば、お母さんの誕生日を祝うためにすごく立派な手紙を書くこともできる。知らない言葉も入っているはずです。そのときに、そのままお母さんに渡してしまうか、この言葉ってなんていう意味だろう、と調べるかどうか。そこが問題です。自分がやりたいことのために必要な新しい言葉や文章表現を学ぶきっかけになる。つまり自分が学ぶために生成AIを使うのです。
私の授業でレポートに生成AIを使うことを認めたらかえって大変になったと学生たちは言います。以前は、授業の感想文のようなレベルでも単位が取れました。東大生でも自分で書いた文章は下手なことが多いです。それが生成AIを使えるため、文章が整っていることは当然。そのうえで自分のオリジナルのアイデアや将来への予見をしっかり組み込んでいないとレポートとして単位を与えられなくなったのです。
勉強力がより問われる時代。生成AIに勉強を代わってもらうのではなく、能動的に使うことが求められています。
では、家庭ではどんなことを考えておけばいいでしょうか。


