「メジマグロを食べるのをやめよう!」という訴えは逆効果?

流通業者も漁業者に近い情報は持っているが、「クロマグロなのに安いよ」は格好のセールスポイントになるため、消費者に売る。消費者は価格が大衆向けの「安くておいしいメジマグロ」に大喜びするだけで、背後で生じている悲劇を知るよしもなかった。情報を与えることで非対称を是正するとともに消費者の行動を変えることができたわけである。ただ、メジマグロを知らなかった消費者の「へえ、そんなのがあるの。お安いんなら今度食べてみたいな」という新規需要を掘り起こした可能性も否定できない。

マグロの刺身
写真=iStock.com/kuremo
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山下東子『新さかなの経済学 漁業のアポリア』(日本評論社)
山下東子『新さかなの経済学 漁業のアポリア』(日本評論社)

3つ目の市場、つまり未成魚のもう1つの需要先がマグロ養殖場である。こちらは食用よりも魚体の小さいヨコワが漁獲対象となる。筆者が訪ねた愛媛県のある漁村では、釣りでヨコワを生け捕りしてくるのが高齢漁業者の小遣い稼ぎになっていた。1尾3000円ほどで近くのマグロ養殖場が買い取ってくれる。1日5尾も獲れればほどよい収入になる。この養殖場では、まき網で獲ったヨコワも網に入れたまま曳航えいこうし、いけすに入れている。

3年程度かけて30kg超の出荷サイズにまで育てる。こうしたクロマグロ養殖場は2024年3月現在、九州・四国を中心に160カ所あり、この年、52万尾(うち38万尾が天然種苗)の稚魚が投入された。2023年の養殖生産量(1.7万トン)は天然クロマグロの漁獲可能量(0.96万トン)の約2倍に上っている。

未成魚を食べるのはいけないが、養殖に回すならよいのか

「未成魚を食べるのはいけないが、養殖に回すのならよい」と言えるだろうか。マグロ養殖はマグロの青田買い、つまり早い段階での共有資源の私物化である。未成魚をわざわざ生け獲りすることは、たまたま網にかかって死亡したメジマグロを食用にするのとは動機が異なる。3年もの間餌をやってから出荷しても採算が合うのは天然成魚の希少性が価格を押し上げているからであり、天然成魚の価格が上がれば上がるほど、養殖マグロビジネスの利ザヤは増える。食用のメジマグロの価格もそれなりに上がるだろう。

そして未成魚を漁獲すればするほど天然成魚は希少になり、価格が上がる。3つの市場の間では、こうした悪循環がもたらす危うい均衡が成立しており、市場同士が漁獲意欲を高めあうというアポリア(難問)が存在している。

山下 東子(やました・はるこ)
経済学者

1957年大阪市生まれ。1980年同志社大学経済学部卒。1984年シカゴ大学大学院経済学研究科修士。1992年早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(学術)広島大学。現在、大東文化大学特任教授。