現行の相続がもめる原因は…

これだと、長男が一方的に得をする。そのように見える。

だが、家督相続の特徴は、戸主には権利とともに義務が定められていたことにあった。

権利の方は、家族の婚姻や養子縁組に同意する権利、家族の居所を指定する権利、家族の入籍を拒否する権利、家族をその家から排除する権利である。

子どもが結婚する際、親の同意が必要だったのも、これによる。あるいは、親が子どもを勘当したのも同じである。

ただ、同時に戸主には義務が課せられていた。それは、家族を扶養する義務であり、家を維持し、存続させていく義務である。

戸主の権限は極めて大きなものだが、同時にそこには重い義務が課せられていた。

そして、家督相続が行われれば、こうした権利と義務がすべて長男に移行したのである。

今は随分と違う。

相続によって遺産を受け継いでも、そこには何の義務も生じない。金がわたるかどうか、どれだけの額がわたるのかだけが問題になる。すべてが金の問題になってしまうわけで、相続の堕落とはこのことを指す。結局は、遺産の額が問題になり、だからこそどうしてももめてしまうのだ。

その際に、故人の介護をしたかどうかが主張されたりもするが、この点は、遺産の額を配分する上で法律には盛り込まれていない。懸命に介護しても、決して多くの遺産は入らない。これも、もめる原因を作っている。

資産の取り合い
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世俗に言及するイスラム教

日本の法律は、民法を含め、世俗の法律であり、宗教が背景にはない。

仏教は、釈迦が家を捨てて出家したように、世俗の生活には究極的に価値をおかないので、世俗の生活を律する法が発達しなかった。「仏法」ということばがあるが、それは世界の法則を意味する。神道になれば、創唱者はなく、教えそのものがない。

キリスト教でも、世俗の生活を律する法がないのは、初期の時代、世の終わりがすぐにでも訪れると信じられていたからで、それでは世俗の生活をどう続けるかは問題にならない。

これに対して、ユダヤ教やイスラム教では、宗教生活と世俗の生活が一体のものとしてとらえられており、ユダヤ法やイスラム法が発達を見せている。

ここでは、現在、世界第二の宗教となったイスラム教について取り上げるが、その聖典である「コーラン」や「ハディース」では、相続のことについても述べられている。「コーラン」は預言者ムハンマドに下された啓示で、「ハディース」はムハンマドの言行録である。

「ハディース」は膨大な数存在し、その真偽をめぐって議論になったりもするが、それに目を通して見ると、日本では民法で規定されているような事柄に多く言及されていることが分かる。イスラム教を国教とする国では、イスラム法が法律の基盤になっている。