日本の「なんちゃって」アクティブ・ラーニング

成否を吟味すること。それは、失敗を知ることでもある。与えられた「教え」に疑問を抱き、「本当にそのまま飲み込んでしまってよいのだろうか」と自ら悩み、考える。そして実行する。要するに、アクティブ・ラーニングが必要なのである。

しかし、大学でも(少なくとも医学部では)、大量正確咀嚼そしゃく型の学生の方が高く評価される。最近は360度評価と言って、いろいろな評価者が多面的に人物を評価する方法も取られているが、医者が評価しようが、看護師が評価しようが、大量正確咀嚼型の学生の方が優れている、という信念を共有し、その信念に基づいて教育している限り、評価に多様性は生まれない。結局、少人数で議論しようが、発表をさせようが、そういうパッシブなメンタリティのままで学んでいる限り、結果は同じことである。

日本のアクティブ・ラーニングは総じて「なんちゃって」アクティブ・ラーニングである。360度評価も多様性を許容できない限りは「なんちゃって」である。

日本のみならず、海外でも同じことが言えると思うが、どの医学部でも少数の優秀な学生はいて、彼らはどんなシステムにおいてもアクティブ・ラーナーだ。授業は前列で聞き、教師の言葉を鵜呑みにせずに「どうしてなんだろう」と脳内で葛藤し続ける。

他方、これまた少数の学生はどの医学部でもやる気がなく、アクティブな学びはしない。友人のノートをコピーし、サボれる授業はできるだけサボり、効率的に狡猾に進級だけは達成しようとする。「馬を水飲み場につれていくことはできても、水を飲ませることはできない」とよく言われるが、結局のところアクティブ・ラーニングとは本人次第なのである。

失敗経験が乏しい人の弱点

本当のアクティブ・ラーニングとは、自らの学習法を試行錯誤しながら自ら開拓していく学び方のことだ。

「試行錯誤」とは失敗の連続を許容することである。それは時間の無駄遣いと捉えられることがあるが、そんなことはない。失敗は「その道を通らない方が良い」という学びである。

失敗を重ねるからこそ、「これならば成功できる」という確固たる自信がつく。失敗に対する恐怖心も薄らぎ、失敗に対するレジリエンスも育まれる。エジソンの「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」は至言なのである。

他人に与えられた「これが成功するパスウェイ」しか知らない人は、失敗の経験に乏しい。「こうすれば成功する」ことは理解できても、「どうしたら失敗するのか」は分からない。本当は、「どうしたら失敗するのか」を熟知しているからこそ、「その成功のパスウェイこそが、失敗しない最良の方法なのだ」と腑に落ちて理解できるのだが。

的に刺さったたくさんの矢
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