昭和20から30年代はハンディーを背負った人が身近な存在だった
つまるところ、時代的な背景が生み出した作品を全体として尊重するのか、それとも不適切な言葉だけをことさら取り上げて排除するのか、それが問われているように思う。差別の実態を隠し、黙認したまま単なる“言葉狩り”でよしとすることこそ不適切で居心地の悪い社会だと私は思う。自主規制で萎縮するレコード会社や放送局などのメディアの姿勢、それは今も続いているような気がしてならない。
かつて人々は、今日では差別的とされる言葉を日常的に用いてきたが、こう考えることもできる。私が子どもの頃、耳の遠い老人や目の見えない人は身近にいた。少なくとも昭和20年代、昭和30年代当時はさまざまなハンディーを背負った人々が私たちの周りにいて、普通に生活していたのだ。たしかに彼らは不当な差別を受けたかもしれない。だが、健常者も障害者もともに助け合って生きてきた時代でもあった。そういう意味では、当時は現代よりももっと共生社会だったのかもしれない。
1949年、香川県生まれ。新聞や雑誌にルポやエッセイを寄稿。明治・大正期のジャーナリスト、宮武外骨の研究者でもある。著書に『外骨みたいに生きてみたい 反骨にして楽天なり』(現代書館)など