笠置シヅ子が1950年に発表した「買物ブギー」は、服部良一作詞作曲の大ヒット曲だった。笠置の評伝を書いた砂古口早苗さんは「大阪で育った笠置と服部ならではの上方話芸的なラップソングで、『わてほんまによう言わんわ』『オッサンオッサン』は当時の流行語に。しかし実は、現在聴ける音源は、発表時の原曲から2つの言葉が削除されている」という――。

※本稿は、砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(潮文庫)の一部を再編集したものです。

映画『醉いどれ天使』で「ジャングル・ブギー」を歌う笠置シズ子
映画『醉いどれ天使』で「ジャングル・ブギー」を歌う笠置シズ子(写真=製作:東宝 © 1948年 配給:東映/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons

昭和25年に発売された笠置シヅ子最大級のヒット曲

私が「買物かいものブギー」を初めて聴いたときがいつだったか、はっきりとした記憶はないのだが、なぜか子どもの頃から耳になじんでいる。むろんテレビより以前だから、ラジオで聴いたように思う。子ども心にも一瞬、「なんやこれは!」と仰天しつつ、不思議な驚きというか、衝撃に近いものを受け、聴き入った。ボケとツッコミの一人漫才を歌にしたような異様な歌だが、嫌悪感はない。むしろ逆で、聴いた瞬間から身も心も無意識に受け入れている。その心地いいリズムと言葉のテンポに、大人も子どもも男も女も、歌の世界に引きずり込まれるのだ。

半世紀以上経ってもなぜこの歌が私には特別なのだろう。流行歌には多かれ少なかれ、恋だの愛だの、別れや出会いや、切なさや楽しさなどがテーマで、なんとなく歌の世界にちょっとした物語がある。だがこれはそんなものとは全然違う。“コミックソング”とか“冗談ソング”といった範疇にもすんなりとは納まらない。

別に意味はなく、単なるギャグの羅列ともいえるが、それだけでもない。大阪のおばちゃん的・笠置シヅ子の強烈な魅力なしには、この歌は成り立たないのだ。時代の洗礼を受けた輝かしい名曲の殿堂に入っているわけでもないのに、何度聴いてもちっとも色褪いろあせず、新鮮だ。今なお、いろんな歌手に歌い継がれ、若い歌手たちにもアレンジされ、リメイクされている理由がわかる気がする。

大阪育ちの笠置と服部良一による抜群の「上方話芸的センス」

おそらくそこには瞬時にして人を魅了する抜群の上方話芸的センスと同時に、ナマの感性をたちまちキャッチするようなー種の“あやうさ”があるからだと私は思う。それは言葉でちょっと説明しにくい。単なる感覚的な好みの問題かもしれない。そんな「買物ブギー」は、笠置シヅ子という歌姫そのものを象徴しているようにも思える。

「買物ブギー」は大阪で生まれ育った服部良一が若い頃、法善寺横町の寄席で聞いた上方落語の「ないもん買い」をヒントに、魚屋、八百屋と買い物しながら品物を並べて歌う、現代のラップ・ミュージックと言われている。服部が“ひょう”で寝ているとき、笠置にどうしても新曲を書いてほしいとねだられて書いたと、後に服部は手記に書いている。

初年度で45万枚のレコードを販売、今ならミリオンヒット

作詞は村雨まさをだが、これは服部の作詞のときのペンネーム。百人一首の「むらさめのつゆもまだひぬ まきのはに――」から取ったもので、本当は「村雨まきを」とつけたが印刷屋の誤植で「村雨まさを」になった。だが服部は直すのも面倒なのでそのままにしたという。「買物ブギー」で服部はすしネタを思い出しながら詞を書き、曲をつけ、それを笠置はたちまち服部の好きな落語の世界を体現化した。レッスン中、歌詞をなかなか覚えられない笠置が思わず「ややこし、ややこし」とこぼしたセリフを、服部はそれも歌詞に入れた。

1950年早々にレコーディング。2月、大阪梅田劇場の公演「ラッキイサンデー」の舞台で歌って評判になった(このとき歌の長さは6分だったという)。5月公開の松竹映画『ペ子ちゃんとデン助』の挿入歌となり、たちまち大ヒット。初回出荷レコード、20万枚はたちまち完売し、初年度総数45万枚売ったという笠置の代表曲の一つとなった。この数は2000年当時(以後、CDの売れ行きが低下)のCD発売総数から換算すると、640万枚に相当するという。「わてほんまによう言わんわ」や「オッサンオッサン」は当時の流行語にもなった。

「笠置シヅ子の世界 〜東京ブギウギ〜『買物ブギー』」℗ Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE

服部は、エプロン姿に下駄ばきでタップをふんだ笠置を絶賛

「東京ブギウギ」のみならず、笠置が歌うブギはどれも服部と笠置の合作と言っていい。とくに「買物ブギー」は笠置も服部も大阪育ちで、二人の天性のギャグセンス、大阪庶民の感覚が一致してでき上がった。服部は自伝にこう書いている。

「ステージでは、ぼくが言う前に、笠置君は、エプロン姿に下駄ばきといういでたちを作り、(略)下駄で見事なタップをふんだものである。笠置シヅ子は、誰もが言うように芸魂の人であり、不世出のショーマンだったと思う」
服部良一『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)

努力家の笠置は舞台でいろんな工夫をしたが、後年、音楽プロデューサー・池田憲一のインタビューにこう語っている。

「日劇の舞台がありますやろ。袖のずっと奥から駆け出してきて、センターマイクのところで急ブレーキをかけて止まる。そこに熱気が生まれますのや。見えんからゆうて、のろのろ出て行ったらあかん」
コロムビアレコード『懐かしの針音 笠置シヅ子』LPジャケット解説、1985年

映画『ペ子ちゃんとデン助』で笠置が歌うシーンは原曲のまま

だから舞台で「買物ブギー」を歌うとき、履いていた下駄が割れたことが何度もあった。笠置は1949年の日劇「ホームラン・ショウ シヅ子の応援団長」でも、「ホームラン・ブギ」を歌っていて勢い余って舞台から落ちたことがあるが、何事にも全力投球する笠置を物語るエピソードだ。とくにブギを歌うとき、彼女のマネジャーはいつも舞台の袖で構えていて、舞台の端から端まで走って来る笠置の身体の、文字通り“受け止め役”だった。そうしないと笠置がそのまま突っ込んで倒れてしまうこともあるからだ。

映画『ザクザク娘』(1951年)、『ペ子ちゃんとデン助』でコンビを組んだ笠置シヅ子と堺駿二(左)が再び組んだ。中央上は若原雅夫
写真=プレジデントオンライン編集部所有
映画『ザクザク娘』(1951年)、『ペ子ちゃんとデン助』でコンビを組んだ笠置シヅ子と堺駿二(左)が再び組んだ。中央上は若原雅夫

とはいえ、名曲は長く歌い継がれてほしい反面、美空ひばりの歌を他の歌手が歌ってもほとんどがっかりするように、笠置シヅ子の歌を誰かが歌い継ぐことはなかなか難しい。一度でいいから、買い物かごを手にエプロン・下駄履き姿の笠置の「買物ブギー」を生の舞台で観てみたかったが、それも叶わない。唯一、映画『ペ子ちゃんとデン助』で笠置が歌うシーンが残されている(同じシーンを1950年松竹映画『懐かしの歌合戦』で再使用)。

後年、原曲歌詞から消えてしまった2つの言葉

映画では、潰れかけのカストリ雑誌『フラワ』編集者の大中ペ子にふんする笠置が、洒落たマーケットで買い物をしながら「買物ブギー」を歌うシーンがある。約4分間。私は最近この動画シーンを観て、3分余りに縮小されたレコードやCDは本来のものではなく、ある部分がカットされたものだったことがわかった。

SPレコードの片面はもともと3分前後しか入らないのでカットされたという理由もあるが、フルバージョンの「買物ブギー」には、今まで聴いていたもの以上の魅力があり、まさに衝撃的だった。時代を超えた新鮮さと同時に、半世紀以上の時代の価値観の違いが歴然として浮かび上がったのだ。

そこには強烈なインパクトと、現代の私たちに向けた深いメッセージがあった。だがこの「買物ブギー」は不幸なことに、発表当時は大ヒットしたにもかかわらず、突然ある時期から歌われなくなったり、歌詞のある部分が削除されてしまうのである。おそらく誰もが知っているように、歌詞の中に「つんぼ」という言葉が出てくる。

「オッサンオッサンオッサンオッサン――わしやつんぼで聞こえまへん」

実は、歌はこれで終わるのではない。映画ではこの後、ペ子ちゃんは向かいのおばあさんの店に行く。

「そんなら向かいのおばあさん わて忙しゅうてかないまへんので ちょっとこれだけおくんなはれ 書き付け渡せばおばあさん これまためくらで読めません。手さぐり半分なにしまひよ」

というフレーズがあって、

「わてほんまによう言わんわ わてほんまによう言わんわ ああしんど」

で終わる。

(編集部註:おばあさんとの会話はレコードに収録されていない)

1950年当時の流行歌には差別用語という考え方がなかった

「つんぼ」や「めくら」は、現代では障害者差別用語とされている。私もそうした言葉を使うのは適切ではないと思う。だが少なくとも1950年当時の社会はそうではなかった。文学や映画も同様で、とくに流行歌は時代を映す鏡だ。歌詞に、今でいう差別用語が使われた流行歌は何も「買物ブギー」だけではない。

それらの歌詞が使われた歌はみな、発表当時は何の指摘もなかったのに、いつの間にか歌われなくなったり、歌詞が変更されたり、削除されたり、曲そのものがメディアから姿を消した。実はそれらの歌が、障害者や人権団体から抗議を受けたわけではなかった。

「買物ブギー」は50年にSP盤で発売されたが、55年にEP盤(45回転モノラル)で復刻されたものにはまだ「つんぼ」は削除されていない。ベトナム戦争が始まった60年代後半から70年代にかけて、政治的な反戦歌や反部落差別などをテーマとした歌が作られるが、それらはレコード会社や放送局など、メディアの自主規制で発売禁止・放送禁止の烙印らくいんを押されたのだ。

1970年代以降になって初めて「不適切」とされ放送禁止に

そして1980年代になって、レコード会社がかつての名曲を復刻する際に不適切な言葉を探し出し、自主的にカットしたのである。この時期に「買物ブギー」の「つんぼ」が削除された。他に、たとえば丸山明宏(美輪明宏)が1964年に発表した「ヨイトマケの唄」は、70年代に歌詞の“土方”が不適切だとして放送禁止になったが、今ではこの歌は人々を感動させる名曲と認められている。

「買物ブギー」は名曲であることをみんなが認めている。このこと自体は悪くないのだが、「つんぼ」が抜け落ちると「わしゃ聞こえまへん」となって、なんとも収まりが悪い。

そもそもこの歌のテーマやオリジナリティーは、人権擁護の理念と対立などしていないのだ。服部と笠置が、“つんぼ”や“めくら”の老人を差別するためにこの歌を作ったのではないことは明白なのだから。

「買物ブギー」は今聴いても実に楽しい歌だ。私が願うのは、現在の歌手が歌い継ぐ場合は別として、笠置が歌うCDの「買物ブギー」を、映画で歌われたものと同じフルバージョンで完全に復活させてもらいたいし、映画『ペ子ちゃんとデン助』もぜひともノーカットでリバイバル上映してほしい。むろん差別は否定した上で、作品のオリジナリティーの重要性など、何らかの説明は必要だろう。

昭和20から30年代はハンディーを背負った人が身近な存在だった

砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(潮文庫)
砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(潮文庫)

つまるところ、時代的な背景が生み出した作品を全体として尊重するのか、それとも不適切な言葉だけをことさら取り上げて排除するのか、それが問われているように思う。差別の実態を隠し、黙認したまま単なる“言葉狩り”でよしとすることこそ不適切で居心地の悪い社会だと私は思う。自主規制で萎縮するレコード会社や放送局などのメディアの姿勢、それは今も続いているような気がしてならない。

かつて人々は、今日では差別的とされる言葉を日常的に用いてきたが、こう考えることもできる。私が子どもの頃、耳の遠い老人や目の見えない人は身近にいた。少なくとも昭和20年代、昭和30年代当時はさまざまなハンディーを背負った人々が私たちの周りにいて、普通に生活していたのだ。たしかに彼らは不当な差別を受けたかもしれない。だが、健常者も障害者もともに助け合って生きてきた時代でもあった。そういう意味では、当時は現代よりももっと共生社会だったのかもしれない。