「銀座カンカン娘」では高峰の方が主題歌を歌ったが…

高峰は4歳のときに実母と死別して、父の妹の志げの養女となる。だが、高峰を子役の頃から金のる木としか考えないこの養母との軋轢あつれきは、『わたしの渡世日記』の読みどころになっている。

高峰は笠置より10歳年下だが、生まれてすぐに養女に出された笠置の生い立ちを知っていたのではないだろうか。知っていたら、なおさら親近感を覚えたに違いない。

高峰は、女優としては並外れて知性派である。彼女がこれほど笠置のファンになったのは、笠置の自分にはない野性味と底抜けの明るさに惹かれたのであろう。
『銀座カンカン娘』で共演する二人は、どこかリラックスして楽しそうである。高峰の歌う主題歌の歌声は若々しく、端正で透明感があり、笠置の歌と比べてみるとなおのこと興味深いものがある。

映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子(左)と高峰秀子
映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子(左)と高峰秀子(写真=新東宝/PD-Japan-film/Wikimedia Commons

高峰は後年、スパッと歌手を引退した笠置の潔さに賛辞を贈っている。これは高峰の女優引退の際も同じことで、二人には共通点が多い。

筆者も編集者時代に、趣味の骨董や仕事で高峰とはささやかながら交流したことがある。高峰が笠置のファンと知ってことのほか、うれしい。

『放浪記』の林芙美子は笠置を「年を取らない女」と評した

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

これは作家の林芙美子ふみこが好んで色紙に書いた言葉である。林は戦前、『放浪記ほうろうき』がベストセラーになり、戦後は『晩菊』『浮雲』などの名作を著す。昭和26年(1951)に47歳で没した。流行作家であり、その名前が世間にひろく知れわたっていた。

林忠彦撮影「林芙美子、1949年4月自宅書斎」
林忠彦撮影「林芙美子、1949年4月自宅書斎」(写真=『新潮日本文学アルバム 34』新潮社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

その林は、ラジオから流れる笠置の歌声を聞いて以来のファンであった。二人は笠置の楽屋で直接会ってもいる。「東京ブギウギ」より以前のことである。

林は、笠置のどこを買っていたのだろうか。そのへんのことに関して、林は笠置の自伝『歌う自画像』の中に書き残している。

「私は日本の歌手では淡谷のり子、渡辺はま子といった人たちが好きであった。だが笠置シヅ子のように複雑きわまる舞台アングルを持った歌いぶりは、以上の二人にはない。全身で踊り、全身で歌う。鼻翼びよくをふくらませ、両手を伸び伸びひろげ、舞台に蜃気楼しんきろうを打ち建てる。私はパリで観たジョセフィン・ベエカアを想い出した」

「楽屋で見る笠置シヅ子は非常に人間的で、女らしく、美しい婦人だと思った。豊富な心のタンレンがもたらしたものか、彼女は年を取らない型の女性と見えた。私は何も言いあったわけではないけれど、彼女の中に何かしら共感を呼ぶものを持って、私の心をゆさぶった」
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)