真っ向勝負するパワフルな歌が「夜の女」たちを熱狂させた

日劇や東宝の重役を歴任した秦豊吉はたとよきちは、人気絶頂のころの笠置の舞台を自著『芸人』でこう記す。

「……しかしブギの女王と呼ばれるに至ったのも、笠置の勉強は勿論のこと、その上に服部先生のお陰だが、笠置の全身を貫く芸人魂、他人に負けずに驀進ばくしんしようという魂は、はっきり芸人魂だ。これが舞台から見物に真っ向からぶつかってゆくから、一番先に丸の内の姐さん方がファンになって、花束を投げるという風景になった。世界の芸人で姐さん方が劇場に押し寄せて歓声をあげるなんて例は、どこにもありはしない」

同じようなことを服部も書いている。

「日劇のステージにかぶりつき、花束をもち、目を輝かせた彼女たちの姿を見ない日はなかった」

このような熱狂的なファンに支えられた「ステージの恍惚こうこつ」こそ、笠置の彼女たちへの終生変わらぬ感謝の原動力だったのかもしれない。

マイクの前で歌う笠置シヅ子
写真=毎日新聞社/時事通信フォト
マイクの前で歌う笠置シヅ子、1949年

映画で共演した大女優の高峰秀子も笠置の「追っかけ」

年のくせに年の如く執念深い私は、撮影の合間を縫い電車に飛び乗り、丸の内から浅草くんだりまで、笠置シヅ子のステージというステージを追いかけてまわった」
 これに続けて、
「日劇の広いステージに、小柄な彼女がニッコリと目尻を下げて現れると、ステージいっぱいにパアッと花が咲いた」
 と書く。

誰あろう、これは笠置シヅ子の追っかけを自認する戦後の大女優・高峰秀子たかみねひでこが、自伝『わたしの渡世日記』に書いたものだ。

笠置の魅力を高峰は、「突如歌謡界に笠置シヅ子のパンチのきいた、歌唱力に、私は全く魅了された」と述べている。
 高峰は自身が主演する映画の完成試写会にも行かないというほどクールな人物である。そんな彼女が、いまのミーハーのようなことを言っているところが意外であり面白い。

高峰の“追っかけ”は昭和23年(1948)「東京ブギウギ」のヒットから始まったが、昭和24年には2人は映画『銀座カンカン娘』(島耕二監督)で共演を果たしている。
 高峰は「『銀座カンカン娘』の収穫は笠置シヅ子と共演できたこと」とまでいっている。映画はむろんのこと高峰の歌う「銀座カンカン娘」のレコードも50万枚(当時)の大ヒットとなる。

笠置も劇中で高峰や岸井明らと共に、この歌を歌っているのが貴重である。

※編集部註:初出時、映画『銀座カンカン娘』の監督名に誤りがありましたので訂正します(2024年2月22日14:40分追記)