「SEX上納システム」「献上」といった興味本位の目線

大いなる矛盾なのだが、MeToo運動を後押ししているはずの文春報道すら、そうした視線から逃れられてはいない。記事中で、「SEX上納システム」や「献上」といった言葉を使っているのが、その証左だ。松本氏と女性たちの飲み会をアレンジしたという後輩芸人たちの所業を指しているのだが、かなり扇情的な言い回しだ。

女性をモノのように扱い、尊厳を傷つける言い方なので、こうした言葉の使用はやめてほしい、と私は最近、X(旧ツイッター)に投稿した。「いいね」の数は4000を超えた。性暴力被害者のアカウントもその中にあった。私はふだんからそうしたアカウントをフォローしていて、そのポストを読んでいるので、アカウントの所持者たちがいかに耐え難い思いを抱きながら、被害に遭った後の日々を過ごし、生き抜こうとしているかを知っている。

賛同ポストの中には、以下のような指摘があった。「こうした表現は被害者をモノ化しても、何とも思わない人たちを作り出してしまう」「興味本位な気持ちが先に立っている」「無意識のうちに女性蔑視の感情が浮かび上がっている」などというものだ。

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被害者はバッシングなどの二次加害が嫌で沈黙してしまう

興味本位の視線、モノ化、蔑視――これらは、有力者との飲み会に参加する女性たちに向けられるまなざしの中にあるものと相通じている。それは、性暴力の被害者が、常にさらされている二次加害のまなざしでもある。それゆえ、多くの被害者がそうした目で見られることを忌避して、沈黙してしまう。だから「SEX上納」といった言葉の使用は、女性たちを救うどころか、逆効果になってしまう恐れがある。

その一方で、文春の言葉の選択を肯定するポストもあった。「単なる性暴力ではなく、構造的・組織的なものであることを示している」「わざと露悪的にすることで、批判性を強めている」などの指摘だ。一理あるけれども、そうした効果を上げるために、被害者の尊厳を傷つける形になるのであれば、やはり本末転倒だと思う。人権よりも表現を重視するのは、いいかげんやめるべきだ。

「こうした表現は加害者側の視点に立ったもの。そのような形で読者に出来事を理解させるのは、被害者にとっては二次加害に当たる」という指摘もあった。このような指摘に反論するのは、難しいのではないだろうか。

結果として、MeToo運動の推進を妨げることにもなる。被害者に二次加害をもたらすような表現は、間接的に告発のハードルを上げてしまいかねない。