子どもが病気でも早く帰らせてもらえなかった笠置

灰田からそれを聞いたロッパがなぜそのことを日記に書いたのか、理由はこのあとでわかる。ロッパは「僕なら藤山に賛成だが」と、灰田には言わなかったことを日記に書いているのである。

砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(現代書館)(潮文庫でも発売中)
砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(現代書館)(潮文庫でも発売中)

たしかに、「仕事は厳しいものだ、甘えるな」と言いたげな藤山のクールな考え方のほうが、芸能界のみならず世間では一般的なのかもしれない。一方、子どもが病気のときぐらいトリを代わってあげてもいいではないかと考える灰田は、おそらく笠置と似て人情深い優しい人柄だったのだろう。そんな灰田が、同年齢だが歌手としては先輩の藤山の非情さに腹を立て、藤山が病気と聞いても見舞いには行かなかったことをロッパに話している。

それは笠置が決して人に甘える性格ではないことを灰田はよく知っていて、よほどのことがない限り藤山にトリを交代してくれとまで頼まなかっただろうという確信が、灰田にはあったからだと私は思う。笠置は基本的に自分に厳しい努力家だ。何かと人に甘えるような女性なら、灰田も味方はしないだろう。だがしかし、古川ロッパが藤山のほうに与する人間だったことを、灰田は知らなかったようだ。

砂古口 早苗(さこぐち・さなえ)
ノンフィクション作家

1949年、香川県生まれ。新聞や雑誌にルポやエッセイを寄稿。明治・大正期のジャーナリスト、宮武外骨の研究者でもある。著書に『外骨みたいに生きてみたい 反骨にして楽天なり』(現代書館)など