雑草は踏まれたら立ち上がらない
鳥海さんが、どうして学校に来ない時期があったのか、そんなことは私には関係はない。ただ、私はいつも雑草の生き方に励まされる。そして、雑草の生き方を参考にしている。
だから、雑草の生き方を見ることは、きっと鳥海さんの力になるのではないかと何となく思った。
話を聞けば、鳥海さんはとても頑張り屋だ。
十分に頑張っているのに、「もっと頑張らなきゃいけないのに……」と思っている。そして、思うように頑張れない自分が嫌いになってしまうのだ。
私は言った。
「雑草ってさぁ、頑張っているように見えるよね」
「はい」
「でも本当は、頑張ってなんかいないよ」
「えっ?」
鳥海さんが驚いた顔で私を見た。
「雑草は踏まれても踏まれても立ち上がるって、言うでしょ」
「はい」
「でも、見てごらん、踏まれている雑草は立ち上がっていないでしょ」
私は畑の道に生えている雑草を指さした。
「踏まれている雑草は踏まれても大丈夫なように、立ち上がらずに寝そべっている。別に立ち上がらなくたっていいんだよ」
「雑草魂って言うわりには、何だか情けないですね」
鳥海さんが笑っている。
「雑草にとって大切なことは何だと思う」
「タネを残すことですか?」
「そうだよね。そうだとしたら、踏まれても踏まれても立ち上がるって、ムダなエネルギーを使っていると思わない」
「確かにそうですね」
「だから雑草は踏まれたら立ち上がらない。そして、踏まれながらタネを残す方にエネルギーを使うんだ」
置かれた場所で芽を出さなくてもいい
「そう考えると立ち上がらないってすごいですね」
「大切なことを見失わない、それが本当の雑草魂なんだ」
「……」
鳥海さんは黙っている。
「授業でやったよね。雑草のタネは環境が合わなければ芽を出さないって。無理して頑張らないのが雑草の生き方なんだよ」
「私、『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が好きだったんです。与えられたところで頑張ることが大事だと思っていたんです。でもその言葉がずっと重荷だったんです。本当は、置かれた場所で芽を出さなくてもいいんですね」
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、私も大好きな言葉だ。しかし、受け手の心の状態によっては、この言葉に苦しむ人もいるのだ。言葉というのは、本当に難しい。
それにしても鳥海さんの「置かれた場所で芽を出さない」もすてきな言葉だ。
「そうだね、水辺の雑草が水のないところで頑張っても意味がないからね。水が溜まるのを待つのが正解だよね」