スポーツ実況で長く使われた「○○であります」

他に古舘アナがプロレス実況で多用したのが、「○○であります」というフレーズだったが、この「あります」が実は、「行った」「来た」の濫発に関係しているという。

「です」というところを「あります」というのは、元は長州弁らしい。明治、日本が近代国民国家となり国民皆兵の制度が敷かれると、各地の出身者で構成される国軍の共通語が必要になり、陸軍を牛耳る長州閥の方言「あります」がその役目を果たしたという。

やがて公式な場所での発言にも伝播して、国会答弁や冠婚葬祭のあいさつなど、改まった席になればなるほど、「あります」が使われた。

そしてなぜか、戦後のスポーツ実況にそれが根強く長く残ってしまう。

1964年の東京オリンピックの実況は、「あります」のオンパレード。実況アナウンサーはなかなか「あります」から脱却できなかった。

「80年代に入ると、“植草節”から『あります』は減っていましたが、古臭くなりつつあったこの『あります』を、独特の言い回しや進行形とともにあえて多用し新しく完成させた“古舘節”が、それまでのまどろっこしいプロレス中継をまったく新しいスタイルに変えました」

「あります」は……野球中継ならカメラはネット裏からの投手―捕手間にほぼ固定され、その“画”に合わせゆったり話していた70年代半ばまではまだ実況の主流だった。

が、発する情報量が増えてテレビがにぎやかになり、饒舌化早口化した80年代になると、“古舘節”のなかにこそ性格を変えて生き残っていたが、それが人気を博したのと同時期に、”今”っぽくない語調が嫌われたのか、昭和いっぱいをもってやっと消滅した。

グラウンドの上に落ちている野球ボール
写真=iStock.com/Ed Wolfstein
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「行った」「来た」はアナウンサーの甘え

ただ、この「あります」が実況で使われ続けた理由は、ていねいな言い回しに聞こえることもあるが、実際のところ「です」を「あります」と言っている間に時間が稼げ、アナウンサーが次の言葉を考えられたからだ、と四家アナは言う。

「『行った』『来た』と同じ。語尾による時間稼ぎ。古い『あります』が『行った』『来た』に取って代わられたのです。“植草節”も“古舘節”も、誰もやったことのない実況スタイルを最初にやり、それをひとつの新しいかたちとして完成させた画期的なものだったのですが、その断片だけ真似て、緩急も考えず誰もが無意識に発する『行った』『来た』は、研鑽とは逆の甘えです。アナウンサーは努力してこれを克服するべきだと思います」

スポーツ実況の現場よ、語尾にいろいろ付属させないで、すぱっと言い切ってほしい。そうすれば野球ファンの視聴者に、首をひねらせる瞬間をつくらせずとも済む。

春日 和夫(かすが・かずお)
フリーランスライター

1961年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。雑誌編集者を経て、フリーのライター・編集者。著書に『食品公害・農薬汚染 揺れる「食」の安全』(一橋出版)『江戸・東京88の謎』(だいわ文庫)など。現在、飢餓に立ち向かった、風変わりな冒険家の生涯を(長年にわたり)取材継続中。