人間はお互いに迷惑をかけ合いながら生きている
考えを変えていくためには、頭の中で論理的に考えることだけではなく、「ああそうだったんだ、自分の考えは違ったのかもしれない」という変化に対して感情的に納得できる体験が必要です。人間は通常、周囲の人と助け合いながら(そして、ある程度の迷惑をかけ合いながら)生きているものですから、その人の話を丁寧に聞いていけば、周りの負担になっているばかりではないその人を発見することもあるでしょう。
とはいえ、気持ちが落ち込んでいる時に「あなたにはこんな良いところがある」などと説得的に話をしても、やはり受け入れてはくれないかもしれません。それよりは、日々の関わりの中で、まさにその人が周囲の役に立つことをした際に、しっかりと指摘をし、意識をさせた上で、感謝を伝えていくといったことを積み重ねていって、こうした考え方の傾向は少しずつ変わっていくかもしれません。
「だったら死ねばいいじゃん!」と言ってしまうのはなぜか
専門的なトレーニングなど受けなくとも、他者の悩みや相談を聞くのが上手な人というのは確かにいます。こういう人は、一定の年齢になると友だちから日々さまざまな相談を受けているようで、その中で、友人から「死にたい」と言われることがそれなりにあるようです。そして、そのように、共感性が高く他者の悩みを聞くのが上手な人でも、友だちからの「死にたい」への対応に苦慮し、最終的にうまくいかなくなってしまうことがあります。
こういう人からよく聞く話は、以下のような展開をたどります。
最初は、友だちから相談を受け、その中で信頼関係ができ、信頼関係があるからこそ、「死にたい」という秘密を打ち明けてもらうことになります。話の聞き手側は、元来より共感性も高く、しっかりと他者の悩みが聞けるので、「死にたい」と言った側は、その時は落ち着きを取り戻し、死にたい気持ちも和らぎます。しかし、当然のことながら話を聞くだけで特にその人の置かれた状況が変わらないため、何かある度に不安定なその人は「死にたい」と口にし、連絡をとってきます。
「死にたい」と言われることが何度も続くと、聞き手側は徐々に疲れを感じます。人の話を丁寧に聞くことで疲れるのは当然のことですが、せっかくちゃんと聞いても、状況が何も変わらず、何かある度に「死にたい」と言われるからです。そして、最初は共感的に相談を聞いていた人もいつかは燃え尽きてしまい、「そんなに『死にたい、死にたい』って言うなら、もう死ねばいいじゃん」と言ってしまい、関係が破綻にいたると……。