バブル崩壊で「お嫁さん」モデルが退潮

以上、欧米4カ国・地域でどのように女性の社会進出が進んだかを、駆け足で振り返ってみました。それは、理念や啓蒙活動で変化が起きたというよりも、経済・産業・人口構成などの社会的要因が起点となっているのが分かったでしょう。

ひるがえって、今の日本を見て見ることにします。

バブル崩壊後の日本は、不況で家計が苦しいという部分でかつてのオランダに似ています。簡単に言うと、企業は働かない中高年社員に高給を支払えなくなった。その結果、家計を支えるために、多くの主婦はパート労働に精を出すことになり、専業主婦は減りました。これが女性の社会進出の第一幕。

バブル後の不況は、事務職女性の雇用を減らし、そこから「腰掛け=OLモデル」という、女性がお飾りのように働く仕組みも壊れています。

そして、OLモデルの崩壊は、短大進学率を押し下げ、代わって女性の四年制大学進学率を押し上げます。結果、2000年代になると四大卒業女性が増え、そこから総合職の女性比率も上がっていく。こちらは、女性の大学進学率を上昇させ、卒業後は総合職として働く女性が増えていきました。これが女性の社会進出の第二幕です。

オフィスでミーティング中
写真=iStock.com/Johnny Greig
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少子化のサイクルが出来上がった

四大進学率の上昇で、女性の修学年齢が2~4歳長くなり、そのうえに、腰掛けではなくしっかり働くために、就労期間も延びることになります。当然、晩婚化が進みます。また、経済力を手に入れた女性は男に頼らず、独身を選ぶ可能性も増えます。こうして未婚率が上昇。

仮に、結婚して子どもを産んだとしても、手に入れたキャリアを捨てたくはないので、すぐに会社に復帰したい。だから、産むのは一人となっていく……。これらの要因が合わさったのが、少子化サイクルなのではないでしょうか。

不況に端を発した「昭和型社会」の崩壊が、女性の社会進出と高学歴化、そして少子化を生み出しました。

少子化が高進すると、人手不足のために、産業界は「女性の就労」を強く求め始めます。そうして、総合職入社した彼女らが、立派な産業戦士に育つと、企業は彼女らに辞められると困るようになる。その結果が、2010年代後半に起きた、急スピードでの女性活躍支援強化です。現在、産業界にとって女性活躍は、まさにWin-Winとなっています。当然の帰結として、少子化は深刻度を増さざるをえないでしょう。

この難しいパズルは、一筋縄では解けないでしょう。

社会に起きたねじれが、多重に軋みとなっている状態をどう解きほぐすか。その処方箋は、連載終盤にて考えることにいたします。それまでもう少々お待ちください。

海老原 嗣生(えびはら・つぐお)
雇用ジャーナリスト

1964年生まれ。大手メーカーを経て、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。広告制作、新規事業企画、人事制度設計などに携わった後、リクルートワークス研究所へ出向、「Works」編集長に。専門は、人材マネジメント、経営マネジメント論など。2008年に、HRコンサルティング会社、ニッチモを立ち上げ、 代表取締役に就任。リクルートエージェント社フェローとして、同社発行の人事・経営誌「HRmics」の編集長を務める。週刊「モーニング」(講談社)に連載され、ドラマ化もされた(テレビ朝日系)漫画、『エンゼルバンク』の“カリスマ転職代理人、海老沢康生”のモデル。ヒューマネージ顧問。著書に『雇用の常識「本当に見えるウソ」』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(ともにプレジデント社)、『学歴の耐えられない軽さ』『課長になったらクビにはならない』(ともに朝日新聞出版)、『「若者はかわいそう」論のウソ』(扶桑社新書)などがある。