「死んだ昆虫標本を並べているようなもの」

NIKKEI Financial(日経フィナンシャル)のエッセー『知の旅、美の道 世界の文学事情』で、翻訳家の鴻巣友季子氏は「ユートピアかディストピアか、文学界とAI翻訳」と題し、ChatGPTが得意であるとされている機械翻訳文の特徴を、さすがのメタファーで捉えている。

「話の筋は通っているように見える。とはいえ、この訳文の致命的な欠点は、原文の語調や、夫婦の口調(妻は若くて幼い)、倦怠けんたい期の危機にある夫婦の機微を読み取って訳出できていないことだ。」

「この作家(ヘミングウェイ)は『氷山理論』というものを提唱したことでも知られる。氷山は水面上に見えている部分は8分の1にすぎず、水面下の見えない部分が8分の7を占める。小説もそのように書くべきだというのだ。書かれていない部分や、行間、ニュアンスというものを読者に読ませなくてはならない。」

「翻訳はいうなれば言葉を『生け捕り』にする作業だ。AIは何十億という訳語の既存サンプルから適合確率の高いものを引っ張ってくる。しかし、すでに使われた訳語ばかりを使って翻訳するというのは、死んだ昆虫標本を並べているようなものなのだ。AIには、だれも使ったことのない訳語や表現を採択することは現状できない。」

死んだ昆虫標本!

姿は整い、美しいが「生きてはいない」。体温を失い、脈打たず、生命の光がなく、飛んで去ることもない「死骸」。ChatGPTの進化に代替あるいは淘汰されるのは、まさにそういうものであり、人なのじゃないか。

とりあえず今回、ChatGPTに大学授業のレポートを書かせてみたら私大文系学部ではうっかりB+(良)を出しかねないレベルだったので、学生には「死骸を書くな、死骸になるな」と指導しようと心に決めた。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。