一気に関心が高まった

そういった関心の高さを反映してか、この春以来、日本ではあちこちの新聞やビジネス誌がChatGPT特集を組んでは大いに読まれ、雑誌などは近年なかったほど売れに売れている。

「人間とAIの共生をいかに図っていくか」なんて哲学的なものや、「教育機関におけるChatGPTの利用をどこまで認めるべきか」「子どもにChatGPTを使わせていいのか」なんて倫理問題を眉間に皺寄せて論じるものにも人々が集まるが、「時間とコストだけかかって人間がやりたくないところはAIにやってもらおう!」「生産性アップでビジネスが変わる!」「これであなたも議事録抄訳自動作成」「もうエクセルは要らない?」「こんなの書かせてみた」「人生相談までできる」と、あんまり深刻に考えずに自分たちの暮らしを豊かにすることに使いましょうよ、なんて楽天的な方向性の記事も大人気だ。

凡庸な「それらしい文章」が得意

2021年までのインターネット(もちろん世界中だ)に存在したデータをテキスト生成のリソースとするChatGPT、およびGPT-4は、つまるところテキスト、語を並べるものならなんでも書いてくれる。

お願いの仕方(“プロンプトを出す”という)次第で、ドラマの脚本でも、新聞記事でも、学校のレポートでも論文でも、本のあらすじでも、「既存のエッセーを村上春樹の憑依文体で書きなおしたもの」でも、そしてプログラミングも書き上げる。「この言葉のあとには統計的にこの言葉が来やすい」「この言葉の後ならこっちの言葉」というふうに、最もライクリー(ありそう)な言葉をどんどんつなげていくのである。

怖がる必要はない。もともと世の中に広範に存在しているデータから生成するので、これまで誰も見たことのないキレッキレにクリエーティブなものを書くのは苦手、というかできない。

だから特段尖ってもカッコよくも個性的でもないし、ハッとする光も毒もなけりゃ痺れもしないけれど、定型に沿って整った、一般常識っぽくて「それらしい」文章は大の得意だ。

「おっ」と思える文章を書くのは1割

私は都内の大学で密かにウェブライティングを教えており、私大文系2、3年生が書くような2000~3000字程度の「架空のウェブ記事」にたくさん(当惑や称賛や憤怒の)赤を入れてきた。大学受験準備で小論文指導を受けて入学し、プライベートではブログや小説の真似事のようなものを書いたりもする彼らを「ウェブという、PVやSNSリレーション主義の破廉恥なメディアに載っける記事を書くわけだから、人目を引く“メディア的な破廉恥さ”とはどんなものかよく考えてみよう」と鼓舞し(?)、彼らに生まれて初めて商業レベルの――“売文”目的の――まとまった文章を書かせてみる。

すると、かろうじて1割が「おっ」と思えるような、ハタチそこそこにして非常に好戦的で練られた文章を返してくる。