「女性のわりには○○だね」。言っている方は褒めているつもりかもしれないが、どうにも気に障るのはなぜなのか。社会学者の森山至貴さんは「性別は関係ないと思われる場面に唐突に差しはさまれ、『女性は(男性のように)○○という長所を持たない』と言われている。性別に関係なく、『評価されるべき能力はそもそもなんなのか、それを性別と結びつけることで曖昧なままごまかしていないか』に注意を向ける必要がある」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、森山至貴『10代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

オフィスで電卓とラップトップ
写真=iStock.com/LumiNola
※写真はイメージです
女性A:部長の作ったこの見積書、また金額が間違ってませんか?
男性B:部長は仕事が雑だからなあ……。部下が指摘すると怒るし
女性A:怒らせても面倒なんで、こっちで適当に直しておきますね
男性B:ありがとう。酒井ってそういうところ、女性のわりには話が通じるね

「わりには」は唐突にやってくる

え、この流れでなぜ「女性のわりには」みたいな話になるの? というか「わりには」って何? と思いますよね。たとえば、「女性のわりには男性用トイレの間取りについて詳しいね」はたしかに「女性のわりには」の適切な用法かもしれません。仕事でトイレ掃除をしているなどの状況がなければ、たしかに女性は男性用トイレの間取りに詳しくはないでしょうから。

裏を返せば、こういった例外的な状況を除く、「女性のわりには」と言われてしまう場面の大半は、「わりには」と言われて当然だと思えるものではありません。「性別は今は関係ないよね?」という状況に唐突に差しはさまれる、こうした「女性のわりには」について、考えてみましょう。

そもそも、この状況で言われたら、イラッとしませんか? 要するに「女性は話が通じない」と言われているわけですから。話が通じないのは私ではなく、仕事が雑なうえに部下が指摘すると怒る部長のほうだろう、と言ってやりたくなります(男性こそ話が通じない人たちで、部長も男性だから話が通じない、と言いたいわけではありません。また、部長が女性だとしても、女性としての「連帯責任」を問われて「話が通じない」扱いされるいわれはないでしょう)。

性別は関係ないと思われる場面に唐突に差しはさまれ、その場での仕事に女性は不向きである、という前提を強調され、無理強いされるわけですから、「話が通じる」と褒められて気分がよい、というわけにはいかないのも当然です。褒められてうれしく思っているうちに、女性が不利になるルールを受け入れたことにされてしまうわけですからね。

では、女性を働きにくくするこういった職場環境は、どのように改善されるべきなのでしょうか?