ユキヒョウのマユが死んだあと

油圧扉に頭部を挟まれて母親のマユが死んだとき、残された子どもたちの様子を知りたくて多摩動物公園に問い合わせたが、残念ながら取材は叶わなかった。現時点でユキヒョウは世界で3300頭しか生息していないとされ、絶滅危惧種に指定されている。多摩動物公園はユキヒョウの飼育数が国内でいちばん多いと謳っているが、自分たちの不手際で貴重な動物を死なせたことが、彼らにはいまも汚点として残っているのだろう。

だが、3匹の子どもたちのその後は後追いできる。子どもたちは12歳になり、雄のスカイは石川県にある「いしかわ動物園」に移り、父親になった。雌のアサヒも秋田県の大森山動物園に移り、昨年、ママになった。もう一匹の雌のエナは2015年、4歳のときにトロントの動物園に移ったが、一昨年の秋に腎不全を煩い、飼育員や獣医師が必死に治療を試みたというが回復は見込めず、安楽死した。幼くして母親を亡くしたから人間に馴れていたのか、エナは他のどの動物よりも飼育員に懐いていたらしい。いまごろはきっと、天国で再会したお母さんに甘えているだろう。

転じて、わが子を殺めた愚かな親たちだ。

無垢むくなまま短い生涯を閉じざるを得なかった子どもたちは、清らかな天国に召されたと私は思いたい。わが子を殺めた親たちの命が尽きたとき、親たちはダンテの『神曲』にあるような地獄に落とされて永劫の苦しみを味わわされるのが関の山だと思うが、よしんば、閻魔えんまさまのお情けでわが子との再会を果たせたとしよう。だが、そのとき、子どもに問われたら、わが子を手にかけた親たちは何と答えるのだろうか。子どもたちは、きっとくに違いないのだ。

ねえ、どうしてあのとき、ぼくを殺したの――?

降旗 学(ふりはた・まなぶ)
ノンフィクションライター

1964年、新潟県長岡市生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。週刊誌記者を経てフリー。96年、第3回小学館ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『都銀暗黒回廊』(ともに小学館)『敵手』(講談社)『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)他。