児童虐待のニュースが相次いでいる。なぜ親が子を手にかけてしまうのか。所沢愛犬病院の小暮一雄さんは「コンラート・ローレンツというノーベル生理学・医学賞を受賞した動物学者がいます。彼は動物の“攻撃本能”の研究において第一人者でした。ローレンツは、“地球上で人間だけが相手を殺傷する能力を持ちながら、それを抑制する手段を持たない動物である”と説いています。これは、児童虐待にも通じる説だと思いますね」という――。
温泉のそばで身を寄せ合うサルの家族
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人間用のクリニックを訪れた猿の母子

心和むような“珍事”が起きたのは昨夏のことだ。

インド北西部の街のとあるクリニックに、子猿を抱いた母猿が現れた。野生の猿である。何やら様子がおかしいのでスタッフが近づいてみると、2匹が怪我を負っていることがわかった。母猿は頭部に、子猿は脚を怪我していた。高所から転落したらしかった。もしかしたら、木から滑り落ちた子猿を助けようとして、母猿も一緒に落ちて負傷したのかもしれない。

クリニックの医師は、2匹の傷口をそれぞれ消毒し、破傷風の注射をした。その間、2匹は静かに処置されていたが、母猿は子猿を抱きしめたまま、一瞬たりとも離そうとしなかったそうだ。治療を終えると、2匹は処置用のベッドでしばらく休み、また森に帰って行ったのだという。野生の猿が、人間用のクリニックを訪れた話である。

動物病院にやってきた野良猫の母子

微笑ましい“珍事”は、一昨年にも起きている。

トルコ西部にある動物病院の近くには野良猫が1匹住み着いていて、スタッフたちがエサをやっていた。一昨年の春、その猫が仔猫を咥えて動物病院にやってくると、そのままエントランスを抜け、勝手知ったる他人の家とばかりに、施設の奥にある診察室に入って行った。

野良猫が咥えていた仔猫はぐったりしていた。獣医師が診察したところ、仔猫は目に感染症を患っていたことがわかった。目薬などの処置で仔猫の目は開いたそうだが、いつもエサをやっていた野良猫が妊娠していたことも、出産していたことも病院のスタッフは気づかなかったそうだ。仔猫の目が開かず、自分ではどうすることもできなくて野良猫は動物病院にやってきたのではないかと獣医師は言っている。

猿の母子も、猫の母子も、いずれも大事には至らなかった。よくよく考えると、どちらも診察代を払っていないのだが、わが子を助けたい一心でやってきた2匹の“母性”に免じて、病院も請求しなかったのだろう。

こんなふうに、子どもを思う動物のニュースを目にすると穏やかな気持ちになれるのだが、動物のニュースに接するたびに、私は多摩動物公園で起きた事故を思い出して、いたたまれなくもなるのだ。

多摩動物公園の事故

事故が起きたのは、いまからもう11年も前のことだ。マユというユキヒョウが、前の年に3匹の子どもを生んだ。雄(オス)のスカイと、雌(メス)のエナ、アサヒの3匹だ。食事になるとマユは自分のエサに手をつけず、全てを子どもたちに分け与えようとするので、ふだんは一緒に過ごしているが、食事の時間だけ子どもたちを別室に移していた。

給餌の時間になり、いつものように子どもたちを別室に移したら、不意に子どもたちが鳴き始めた。運動場にいたマユは、瞬時にきびすを返し、子どもたちの元に駆け寄ろうとした。運動場と給餌用の部屋を仕切っていた油圧扉はすでに下降し始めていた。給餌場に飛び込もうとしてマユは扉をくぐろうとしたが、頭部を扉に挟まれた。

子どもたちの元に駆け寄ることもできず、マユは頭蓋骨骨折で死んだ。13歳だった。

雪の上にいる、冬のユキヒョウ
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犬は低カルシウム血症を起こしても授乳を続ける

「まさに母性ですね。マユは、命がけで子どもたちを守ろうとしたのだと思います――」と言ったのは、所沢愛犬病院(所沢市)を営む小暮一雄だ。小暮が獣医師になったのは昭和48年だが、獣医になってすぐ、犬に心臓病が多いことを知り、東京女子医大の日本心臓血圧研究所(現在の循環器内科)で助手を務めながら心臓病の治療方法を学んだ。人間の心臓疾患の治療を動物に応用するためだ。当時は動物の心臓病治療ができる獣医師が数えるほどしかいなかったこともあり、小暮の元には全国から診察依頼があったという。

「獣医師という立場上、動物の母性や子どもへの限りない愛情を見る機会は多くあります。身近なところで言えば、母犬です。生後間もない子がお乳を吸う行為を“サックリング(吸啜きゅうてつ)”というのですが、母犬は子どもたちがお乳を求めれば求めるだけ与えようとします。やめようとしないわけですね。その結果、カルシウムが欠乏し、低カルシウム血症を引き起こすことがあります」

それでも母犬は授乳をやめようとしないのだそうだ。

「やがて母犬は身体を痙攣させ、最悪の場合は死に至ります。身体が痙攣を起こし始めても、母犬は授乳をやめようとしないんです。犬は多産なので、子どもが多ければ多いほど、低カルシウム血症を発症する確率は高いのですが、母犬はわが子に母乳を与えようとします」

近年ではペットフードの栄養価の高まりなどもあり、低カルシウム血症で死ぬ母犬は滅多にいなくなったそうだが、少し前の時代にはよく見られた光景らしい。

猫は育児放棄することも

逆に、猫はと言うと、育児放棄(ネグレクト)に近い行動を見せることがあるのだそうだ。

「子どもに先天的な病気があると、母猫はその子を育てようとしないんです。疾患がある仔猫は身体が弱く、お乳を吸う力も弱い。口内の温度も低いんですね。猫は冷たい口でお乳を吸われるのが嫌いらしく、口の冷たい子にお乳を与えようとせず、はじこうとします。もともと身体が弱いのに、お乳をもらえなければますます衰弱していく。残念ですが、その子は育ちません」

生きる力の弱い動物は、そうやって淘汰されていく。それも動物界の摂理なのだろうと小暮は言う。ならば、人間はどうか――?

わが子を愛おしむ親の愛はクリニックに子どもを連れてやってきた猿や猫、ユキヒョウと変わることがないと思っているが、ときおり、虐待でわが子を死に至らしめる親たちの愚行が誌面を賑わせる。

5歳の息子を餓死させた母親に懲役5年

福岡県篠栗ささぐり町では、5歳の息子を重度の低栄養状態で餓死させた母親がいた。この母親は、いわゆる“ママ友”による洗脳状態にあり、離婚を強要されたばかりでなく生活保護費まで奪い取られていたというから同情の余地はあるが、子どもの死亡時の体重はわずか10キロほどというひどい状態だった。5歳児の平均体重の、およそ半分である。ママ友のマインドコントロール下にあったとはいえ、この飽食の時代に餓死するまで、母親はわが子に食事を与えなかった。

アメリカでもヴィーガンの両親が1歳半になる子どもに乳製品すら与えようとせず、栄養失調で死なせるという事件が起きていた。父親は判決を待っている状態だが、母親にはすでに終身刑が言い渡されている。5歳児を餓死させた母親には懲役5年の実刑判決がくだされ、母親をマインドコントロールしていたママ友には実刑15年の刑がくだされている。懲役5年と終身刑――、どちらも子どもを死なせたことに違いはないが、日米の命の尊さの違いをまざまざと見せつけられたような気がする。

両脚の大腿骨を骨折し痣だらけの3歳の女の子

埼玉県春日部市で、意識不明の状態で緊急搬送された後に死亡した3歳の女の子は、両脚の大腿骨を骨折していただけでなく、全身に複数のあざが残っていた。司法解剖の結果、死因は脳損傷と判明した。母親は夫と別居中だったが、その間にできた“新しい恋人”による虐待が原因だった。女の子は、大腿骨を骨折してから亡くなるまで、少なくとも2週間は治療もされずに放置されていたこともわかっている。

元競輪選手だったという新しい恋人は、両脚を骨折している3歳児に平手打ちをしたり、髪をつかんで引っ張ったり、突き飛ばすなどの虐待を繰り返した。そのとき、頭を強く打ったのが直接の死因と見られている。母親は、娘が両脚を骨折していたとは知らなかったと言い、新しい恋人は、逮捕後、留置場で自殺した。

「躾のつもりだった」という供述

3年前、当時3歳の長女に熱湯を浴びせ、大やけどを負わせた母親が再逮捕されたのは、年が明けてすぐのことだ。昨年9月、この母親には、保護責任者遺棄の容疑で懲役2年(執行猶予4年)の判決がくだされているが、新たに傷害罪を適用しての再逮捕だった。

公判では、火傷の原因を長女が水が出る蛇口をふさいでしまったための事故と母親は証言して執行猶予を得ていたが、火傷の状態が真皮に達する“二度”が全身の8.5%を占め、皮下組織まで達する“三度”の火傷が14%に及んだことから、神奈川県警は事故ではなく故意――、虐待によるものと判断し、傷害罪での逮捕に踏み切った。

ブラインドに手をかけ、外を見ようとしている女の子
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この母親は、火傷を負った娘の背中を食品用のラップを巻いただけで3日間放置し、警察が踏み込んだときも同居中の男性とパチスロに興じていた。なおざりな応急処置しかしてもらえなかった娘は、保護されたとき背中の皮膚が破れ、ブドウ球菌敗血症を発症していた。救出があと少し遅れていたら、確実に死んでいただろうという。

取り調べの席での親たちは、まるで判で押したかのように“しつけのつもりだった”“泣きやまなかったから”と言い訳じみた供述をする。3歳や5歳と言ったら、殴打され、髪を引っ張られ、振りまわされても大人に刃向かえる力はない。子どもたちには親の存在が世界の全てであり、唯一の逃げ場なのに、わが子を手にかけるような愚かな親たちには、そんなことすらもわからないらしい。

自分は食事に手をつけようともせず、全てを子どもたちに分け与えていたユキヒョウ、わが子の怪我に気づき、抱きかかえてクリニックを訪れた母猿と母猫……、この愚かな親たちがやったことは、動物たちと正反対のことばかりではないか。

人間は殺傷能力を抑制する手段を持たない

さきの小暮院長が続ける。

「コンラート・ローレンツというノーベル生理学・医学賞を受賞した動物学者がいます(89年没)。彼は“刷り込み(インプリンティング)”を発見した学者として有名ですが、動物の“攻撃本能”の研究においても第一人者でした。ローレンツは、“地球上で人間だけが相手を殺傷する能力を持ちながら、それを抑制する手段を持たない動物である”と説いてもいます。これは、児童虐待にも通じる説だと思いますね」

肉食動物は、自分が支配しているテリトリーやリーダーの座をめぐって闘うことがあるが、負けを認めた相手にとどめを刺したりはしないのだという。敗者は、降参の印に急所の腹部を見せたり、ときには首を差し出したりするようなこともあるらしい。だが、首筋に噛みついて頸動脈を食いちぎれば、相手を確実に死に至らしめることを本能で知っているから、勝者は最後の一撃を加えないというのだ。

タンザニアのセレンゲティ国立公園
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弱い動物ほど相手が死ぬまで闘う

ところが、草食動物や鳥類になると全く正反対の行動に出る。

「弱い動物ほど相手が死ぬまで闘うんです。いい例が鶏ですが、突尻つきじりといって、鶏は相手が死ぬまで……、厳密には動かなくなって自分への脅威がなくなるまで、執拗しつように相手の肛門だけを攻撃し続けます。草食動物にも同じような傾向がありますね。どちらかが死ぬまで闘い続ける。捕食される立場にいる弱い動物ほど、加減というものを知らないんです」

泣きやまないというだけの理由で、子どもに手を上げる親がいる。感情に任せて幼児を打擲し、躾と称してわが子を死に至らしめる親がいる。感情の抑制が利かないのだろう。何故、歯向かうことすらできないとわかっているのに、わが子に虐待などという冷酷な仕打ちができるのか。

たとえ自分がお腹を痛めて産んだ子でも、血のつながらない子でも、いまこの瞬間に、子どもの人生を終わらせる権利など誰にもない。初めてわが子を抱いたときの温もりや感動が一欠片でも心に残っているなら、手にかけるのではなく、もう一度強く抱きしめてほしい――、と私は思っている。私の考えは間違っているだろうか。

ユキヒョウのマユが死んだあと

油圧扉に頭部を挟まれて母親のマユが死んだとき、残された子どもたちの様子を知りたくて多摩動物公園に問い合わせたが、残念ながら取材は叶わなかった。現時点でユキヒョウは世界で3300頭しか生息していないとされ、絶滅危惧種に指定されている。多摩動物公園はユキヒョウの飼育数が国内でいちばん多いと謳っているが、自分たちの不手際で貴重な動物を死なせたことが、彼らにはいまも汚点として残っているのだろう。

だが、3匹の子どもたちのその後は後追いできる。子どもたちは12歳になり、雄のスカイは石川県にある「いしかわ動物園」に移り、父親になった。雌のアサヒも秋田県の大森山動物園に移り、昨年、ママになった。もう一匹の雌のエナは2015年、4歳のときにトロントの動物園に移ったが、一昨年の秋に腎不全を煩い、飼育員や獣医師が必死に治療を試みたというが回復は見込めず、安楽死した。幼くして母親を亡くしたから人間に馴れていたのか、エナは他のどの動物よりも飼育員に懐いていたらしい。いまごろはきっと、天国で再会したお母さんに甘えているだろう。

転じて、わが子を殺めた愚かな親たちだ。

無垢むくなまま短い生涯を閉じざるを得なかった子どもたちは、清らかな天国に召されたと私は思いたい。わが子を殺めた親たちの命が尽きたとき、親たちはダンテの『神曲』にあるような地獄に落とされて永劫の苦しみを味わわされるのが関の山だと思うが、よしんば、閻魔えんまさまのお情けでわが子との再会を果たせたとしよう。だが、そのとき、子どもに問われたら、わが子を手にかけた親たちは何と答えるのだろうか。子どもたちは、きっとくに違いないのだ。

ねえ、どうしてあのとき、ぼくを殺したの――?