天皇陛下のおことばと秋篠宮さまのおことば
しかも、秋篠宮殿下ご本人が即位を望んでおられないと拝察できることは、これまで本連載で具体的な根拠を挙げて指摘してきた(4月29日公開および5月23日公開)。そのことをさらに裏付ける注目すべきおことばがあるので、今回はそれを紹介しよう。
それは他でもない「立皇嗣の礼」(令和2年11月8日)でのおことばだ。
立皇嗣の礼は国事行為として挙行されたから、そこでのおことばの確定には内閣も関与したはずだ。しかし、その内容はご本人のお考えが基調になっていたと見てよい。
しかも、秋篠宮殿下がおことばを練り上げられる際、先行した天皇陛下の立太子の礼(平成3年[1991年]2月23日)でのおことばを参照されたことは、ほぼ疑う余地がない。
だから、天皇陛下のおことばと表現が違っている箇所は、秋篠宮殿下が“意識して”変更されたと見ることができる。
それを前提に、天皇陛下と秋篠宮殿下のおことばを次に掲げる。
「立太子宣明の儀(立太子の礼の中心となる儀式)が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります」
立皇嗣の礼での秋篠宮殿下のおことば
「立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ多いことでございます。皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」
2つのおことばの明らかな違い
このように2つのおことばを並べてみると、両者の間に意外と目立つ違いがあることに気づく。
より重要な後段から取り上げる。
最も端的な違いは、天皇陛下が「皇太子としての責務の“重大さ”」と表現された箇所が、秋篠宮殿下のおことばでは「皇嗣としての責務」という言い回しで、分かりやすくトーンダウンしていることだ。「重大さ」という言葉をことさら削っておられる。
これは、おそらく秋篠宮殿下がご自身の責務を軽く見ておられるということではなく、「皇太子」という地位の「重大さ」との対比において、不確定な「皇嗣」というお立場を踏まえて同一の表現を自覚的に避けられた、ということだろう。だから、天皇陛下のおことばにあった「力を尽くして」も抜けることになった。
重大さ→力を尽くして/「重大さ」削除→「力を尽くして」削除、という対応関係をはっきりと認めることができる。