2020年から行われていた秋篠宮邸の改修工事が今年9月に終了した。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「秋篠宮邸を、皇太子のお住まいである東宮御所並みに増築したために、関係費用の総額が約44億4600万円に上った。即位の可能性が低いにもかかわらず、秋篠宮殿下を皇太子同様に扱うのには無理がある」という――。
全国犯罪被害者支援フォーラムの会場に到着し、着席される秋篠宮ご夫妻=2022年10月14日、東京都千代田区のイイノホール
写真=時事通信フォト
全国犯罪被害者支援フォーラムの会場に到着し、着席される秋篠宮ご夫妻=2022年10月14日、東京都千代田区のイイノホール

秋篠宮邸改修関係費が44億4600万円

去る9月30日、令和2年(2020年)3月から着工していた秋篠宮邸の改修工事が、新型コロナ禍の影響などもあり、予定より半年遅れで終了した。

改修費用は当初、総工費約33億円と報じられていたが、最終的には約34億6600万円に膨らんだ。これに、工事中に秋篠宮家ご一家が仮住まいをされた「御仮寓所ごかぐうしょ」の建築費の約9億8000万円を加えると、関係費の総額は約44億4600万円になる。

御仮寓所は今後、事務所や収蔵庫として活用されるというが、ご一家がお住みになられず、単に事務所、収蔵庫が必要でそれを新築した場合、もちろんこれほどの費用が支出されることはなかったはずだ(坪単価に換算すると約235万円という)。

御所の改修工事との違い

一方、天皇陛下ご一家がお住まいになる御所ごしょの改修費用は、質素を旨とされる陛下のお考えもあり、わずか約8億7000万円に抑えられていた。そのため、約44億4600万円と約8億7000万円という対照的な数字だけが独り歩きして、秋篠宮邸の改修費用の多さに違和感を抱いた人々もいたようだ。

秋篠宮邸の改修工事費がこのような金額になった理由は、御所の場合はもともと上皇陛下が「天皇」としてお住まいになっていた建物に、必要最小限の手を加えるだけの工事だったのに対し、秋篠宮邸の方はそれまで一宮家の邸宅だった建物を「皇太子」(「皇嗣こうしたる皇子」=皇位継承順位が第1位の天皇のお子様)ご一家のお住まいである「東宮とうぐう御所」のような規模にまで拡大した、という事情がある。

秋篠宮殿下の「皇太子」待遇

秋篠宮殿下は改めて言うまでもなく、天皇陛下の弟宮(皇弟)であって、お子様(皇子)ではないので、皇室典範が規定する「皇太子」ではない。しかし、皇位継承資格を「男系の男子」に限定している今のルールの下では皇位継承順位が第1位、つまり「皇嗣」でいらっしゃるという理由から、秋篠宮邸を「東宮御所」並みに増改築したということだ。

そこには、皇太子にお仕えする「東宮職」に相当する新設の「皇嗣職」の役人を受け入れるスペースも設けられた。皇嗣職は、東宮職と同規模の51人で構成される、宮内庁内のそれなりに大がかりなセクションだ。

ちなみに毎年、秋篠宮殿下に支出される皇族費も、皇太子に準じた待遇ということで、定額(3050万円)の3倍になっている。

皇太子と「傍系の皇嗣」の違い

しかし見逃せないのは、秋篠宮邸の呼び方が“皇嗣御所”などではなく、もとの「秋篠宮邸」のまま何ら変更されないことだ。

また、皇太子が外出されることを正式には「行啓ぎようけい」と申し上げるのに対し、秋篠宮殿下の場合は、皇嗣になられてからも一般の皇族方と同じように、「お成り」と申し上げ続けている。

このあたり、“直系(天皇と親子関係の線でつながる系統)の皇嗣”で次の天皇になられることが確定している「皇太子」と、その時点の巡り合わせで皇位継承順位が第1位であるにとどまり、即位されることが必ずしも確定したお立場ではない“傍系(直系から分かれた別の系統)の皇嗣”について、宮内庁として区別する姿勢が見られる。

一般的な位置付けとして、天皇・皇后に男子がお生まれになれば、法制上、その瞬間に皇位継承順位が第2位に変更されて「皇嗣」でなくなる、というのが“不確定”な傍系の皇嗣のお立場だ。

また具体的な話としては、もし長年の懸案とされてきた皇室典範の改正が実現し、安定的な皇位継承を確保するために継承資格の「男系の男子」限定という、旧時代的な側室制度を前提としてこそ持続可能なルールが見直された場合、直系主義の原則によって秋篠宮殿下は皇嗣のお立場を離れられる。

その場合は、天皇陛下のお子様でいらっしゃる敬宮としのみや(愛子内親王)殿下が「皇嗣たる皇子」として、「皇太子」になられる(皇室典範の用語法では、「皇子」も「皇太子」も用語それ自体としては男女とも包含する)。

即位されない可能性が高い

そもそも秋篠宮殿下が将来、実際に即位されることは、普通に考えて想定しにくいはずだ。これはもちろん、資質とか能力について申し上げているのではない。シンプルにご年齢の問題だ。

天皇陛下は昭和35年(1960年)のお生まれだ。一方、秋篠宮殿下は昭和40年(1965年)にお生まれになっている。わずか5歳しかお年が違わない。よって、天皇陛下が上皇陛下と同じように85歳で退位された場合は、秋篠宮殿下はすでに80歳というご高齢に達しておられる。それから新しく天皇として即位されるという場面は、リアルには想像しにくいだろう。先ごろ、エリザベス女王の崩御ほうぎょをうけて英国史上“最高齢”で即位されたチャールズ3世でさえ、73歳だ。

しかしだからといって、天皇陛下がご壮健でいらっしゃるご年齢なのに、お年が近い秋篠宮殿下の即位のためという理由で、“前倒し”して退位されるわけにもいかない。

秋篠宮殿下のご即位は、決してあってはならない不測の事故でもない限り、現実的には考えにくい。秋篠宮殿下が即位されないという展開は、皇室典範第3条(皇位継承の順序の変更)の適用によって法的にも可能だ。

皇居外苑・二重橋
写真=iStock.com/BrendanHunter
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天皇陛下のおことばと秋篠宮さまのおことば

しかも、秋篠宮殿下ご本人が即位を望んでおられないと拝察できることは、これまで本連載で具体的な根拠を挙げて指摘してきた(4月29日公開および5月23日公開)。そのことをさらに裏付ける注目すべきおことばがあるので、今回はそれを紹介しよう。

それは他でもない「立皇嗣の礼」(令和2年11月8日)でのおことばだ。

立皇嗣の礼は国事行為として挙行されたから、そこでのおことばの確定には内閣も関与したはずだ。しかし、その内容はご本人のお考えが基調になっていたと見てよい。

しかも、秋篠宮殿下がおことばを練り上げられる際、先行した天皇陛下の立太子の礼(平成3年[1991年]2月23日)でのおことばを参照されたことは、ほぼ疑う余地がない。

だから、天皇陛下のおことばと表現が違っている箇所は、秋篠宮殿下が“意識して”変更されたと見ることができる。

それを前提に、天皇陛下と秋篠宮殿下のおことばを次に掲げる。

立太子の礼での天皇陛下のおことば
「立太子宣明せんめいの儀(立太子の礼の中心となる儀式)が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります」
立皇嗣の礼での秋篠宮殿下のおことば
「立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ多いことでございます。皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」

2つのおことばの明らかな違い

このように2つのおことばを並べてみると、両者の間に意外と目立つ違いがあることに気づく。

より重要な後段から取り上げる。

最も端的な違いは、天皇陛下が「皇太子としての責務の“重大さ”」と表現された箇所が、秋篠宮殿下のおことばでは「皇嗣としての責務」という言い回しで、分かりやすくトーンダウンしていることだ。「重大さ」という言葉をことさら削っておられる。

これは、おそらく秋篠宮殿下がご自身の責務を軽く見ておられるということではなく、「皇太子」という地位の「重大さ」との対比において、不確定な「皇嗣」というお立場を踏まえて同一の表現を自覚的に避けられた、ということだろう。だから、天皇陛下のおことばにあった「力を尽くして」も抜けることになった。

重大さ→力を尽くして/「重大さ」削除→「力を尽くして」削除、という対応関係をはっきりと認めることができる。

「断じてやります」と「できるだけやります」

おことばの末尾の違いも明瞭だ。天皇陛下はきっぱりと断言され、潔く言い切っておられた(「果たしてまいります」は“……します!=断じてやります”という言い方)。これに対し、秋篠宮殿下の場合は失礼ながら少し腰が引けた印象を与える(「果たしてまいりたく存じます」は“……したいと思います=できるだけやります”という言い方)。

前段についても、天皇陛下が「身の引きしまる思い」という強い言葉を選ばれたのは、国家・国民に向き合う皇太子としての重い責任感によるものだろう。これに対して秋篠宮殿下の場合は、もっぱら儀式を「あげていただ」いた天皇陛下に対して、受け身の姿勢で「畏れ多い」と述べておられるにとどまる。

「立皇嗣の礼」には後ろ向きだった

このような違いの背景には、皇太子とは本来お立場が異なるはずの傍系の皇嗣を、あえて皇太子と同じように扱おうとする、立皇嗣の礼という政府が用意した不自然な儀式に対して、もともと秋篠宮殿下が前向きなお気持ちではなかったという事情がある。

このことについては、江森敬治氏の『秋篠宮』(小学館)に印象的な場面が描かれている。

平成29年(2017年)12月に、江森氏が「皇嗣就任の儀式」(立皇嗣の礼)を行った方がよいという政府の考え方について尋ねると、「『どうでしょうかね』彼(秋篠宮殿下)は考える振りを見せた。だが、明確な回答はなかった」(37ページ)という。

また、平成31年(2019年)2月に同氏が「(同年=令和元年)5月から皇嗣殿下となられます。皇嗣殿下としての心構えや決意を教えてください」という、当然に予想される質問をした時も、秋篠宮殿下は「『うーん』と、しばらく考えていたが、求めていた答えは返ってこなかった」。重ねて質問して、やっと「象徴天皇制を担うのは、あくまでも天皇であり、私は兄を支える、助けることに徹するのではないでしょうか」という、いたって控え目な返答があった(128ページ~129ページ)。

このやり取りと先のおことばを照らし合わせると、傍系の皇嗣というお立場の不確定さと、将来の即位にリアリティーがないことを、秋篠宮殿下ご自身が深く自覚しておられることが分かる。

「皇嗣」ではなくなる可能性も

秋篠宮殿下が即位されない可能性は極めて高い。しかも、側室制度がとっくに過去のものとなり、歴代天皇のおよそ半数を占めた側室から生まれた非嫡出子・非嫡系子孫による皇位継承が除外された条件下で(過去の実例で天皇の正妻が男子を生まなかった割合は35.4%)、「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇へのみちを開くことが不可欠」(「皇室典範に関する有識者会議報告書」〔平成17年[2005年]〕20ページ)である以上、現在の「男系の男子」限定という継承ルールを真正面から見直すことは避けられない。その制度改正に手を着ければ、秋篠宮殿下は直ちに皇嗣ではなくなられる。

先に見たように、そのことを誰よりもよく分かっておられるのは秋篠宮殿下ご自身だろう。にもかかわらず、ルールの見直しに踏み込む前に、きちんとした展望もなく東宮御所並みの秋篠宮邸改修工事を行うなどした政府は、いったいどういうつもりだろうか。

最も心配なのは、皇嗣職の設置や巨費を投じた改修工事などをすでに終えたことから、行動経済学が指摘する「サンクコスト(埋没費用)効果(※) 」によって、肝心な皇室典範の改正を秋篠宮殿下の皇嗣としてのお立場を“変更しない”範囲内にとどめるという、安易な弥縫びほう策に政府が逃げ込むことだ。それでは本末転倒になってしまうし、皇室の危機は深まるばかりだ。

※サンクコスト効果:もはや取り戻すことができない、過去に支払ったコストを惜しみ、さらなる投資は損失になるのにも関わらず、そのまま不合理な判断を続けてしまう心理効果。