皇室と蚕の深い関わり
去る6月1日、皇后陛下は皇居内の紅葉山御養蚕所で「ご養蚕」の作業に当たられた。その具体的な中身は、蚕にエサの桑を与える「給桑」と、蚕を繭となるための蔟(繭づくりの専用器具)に移す「上蔟」だった。
皇室では代々、皇后がみずから宮中で蚕を飼って繭を採るご養蚕に携わってこられた。これを難しい言い方では「皇后御親蚕」とお呼びする。
古くは、わが国最古の正式な歴史書である『日本書紀』の雄略天皇をめぐる記事の中に、天皇が皇后に養蚕を勧めようと考えられたという記述がある(雄略天皇6年[462年]3月条)。また同じく最古の歌集『万葉集』は、奈良時代の女性天皇だった孝謙天皇が天平宝字2年(758年)の正月に、養蚕に使う道具(又はそれをかたどった物)を皇族や貴族らに下さって宴会を催されたことを伝えている(4517番歌の題詞)。
明治時代に皇后が始めた養蚕
しかし、現在の皇室のご養蚕に直接つながるのは、明治4年(1871年)に明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が皇居内の吹上御苑に施設を設けられたことだ。当時、開国して間もないわが国にとって、蚕の繭から作られる生糸は、代表的な輸出品だった。昭憲皇太后は、蚕糸業をご奨励になるお気持ちから、ご自身でご養蚕を始められたと考えられている。
明治政府は、生糸を殖産興業と外貨獲得のための最重要産業と位置付け、現在の金額に換算して7000億円にものぼる巨費を投じて、群馬県の富岡に同時代では世界最大規模だった富岡製糸場を完成させた。
その富岡製糸場に、孝明天皇(明治天皇の父)の皇后だった英照皇太后と昭憲皇太后が明治6年(1873年)におそろいでお出ましになった。
この出来事と、皇居内での皇后ご自身のご養蚕によって、生糸への人々の関心は一気に高まった。
その後、ご養蚕は明治・大正・昭和・平成・令和と、代々の皇后が受け継いでこられた。現在、ご養蚕が行われている紅葉山御養蚕所は、大正3年(1914年)に建てられたものだ。