明治以来、代々の皇后が受け継いできた養蚕作業に、今年6月、天皇陛下と愛子さまも参加された。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「ご家族総出でご養蚕に取り組まれたのは異例。これは、将来女性天皇が即位されることも見据え、男女別の役割分担の壁を崩していこうという取り組みの表れではないか」という――。
皇居・御所に入られる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2021年9月6日
写真=時事通信フォト
皇居・御所に入られる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2021年9月6日

皇室と蚕の深い関わり

去る6月1日、皇后陛下は皇居内の紅葉山御養蚕所もみじやまごようさんじょで「ご養蚕」の作業に当たられた。その具体的な中身は、かいこにエサの桑を与える「給桑きゅうそう」と、蚕をまゆとなるためのまぶし(繭づくりの専用器具)に移す「上蔟じょうぞく」だった。

皇室では代々、皇后がみずから宮中で蚕を飼って繭を採るご養蚕に携わってこられた。これを難しい言い方では「皇后御親蚕ごしんさん」とお呼びする。

古くは、わが国最古の正式な歴史書である『日本書紀』の雄略天皇をめぐる記事の中に、天皇が皇后に養蚕を勧めようと考えられたという記述がある(雄略天皇6年[462年]3月条)。また同じく最古の歌集『万葉集』は、奈良時代の女性天皇だった孝謙天皇が天平宝字2年(758年)の正月に、養蚕に使う道具(又はそれをかたどった物)を皇族や貴族らに下さって宴会を催されたことを伝えている(4517番歌の題詞)。

明治時代に皇后が始めた養蚕

しかし、現在の皇室のご養蚕に直接つながるのは、明治4年(1871年)に明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が皇居内の吹上御苑ふきあげぎょえんに施設を設けられたことだ。当時、開国して間もないわが国にとって、蚕の繭から作られる生糸きいとは、代表的な輸出品だった。昭憲皇太后は、蚕糸さんし業をご奨励になるお気持ちから、ご自身でご養蚕を始められたと考えられている。

明治政府は、生糸を殖産興業と外貨獲得のための最重要産業と位置付け、現在の金額に換算して7000億円にものぼる巨費を投じて、群馬県の富岡に同時代では世界最大規模だった富岡製糸場を完成させた。

その富岡製糸場に、孝明天皇(明治天皇の父)の皇后だった英照皇太后と昭憲皇太后が明治6年(1873年)におそろいでお出ましになった。

この出来事と、皇居内での皇后ご自身のご養蚕によって、生糸への人々の関心は一気に高まった。

その後、ご養蚕は明治・大正・昭和・平成・令和と、代々の皇后が受け継いでこられた。現在、ご養蚕が行われている紅葉山御養蚕所は、大正3年(1914年)に建てられたものだ。

養蚕に力を入れられた上皇后美智子さま

平成時代の皇后であられた上皇后陛下(美智子さま)は、とりわけご養蚕に熱心だったことが知られている。

ご養蚕は通常、5月初旬に孵化ふかしたての蚕を蚕座さんざ紙の上に掃き下ろし(掃立はきたて)、ご養蚕の豊作の祈る神事「御養蚕はじめの儀」からスタートする(今年は5月11日に行われた)。それからご給桑、上蔟、さらに出来上がった繭を蔟から外す「収繭しゅうけん(または繭掻まゆかき)」(最初の作業を“はつ繭掻き”という)。そして締めくくりの神事「御養蚕おさめの儀」(昨年は7月8日)という流れになる。

上皇后陛下はご公務の合間を縫って、若い飼育助手らと一緒に、桑の葉を摘んだりもされた。ご養蚕にちなんだ御歌みうたも多く詠まれており、これまで公表されたのは9首ほどある。ここではその中から1首だけ紹介しておく。

葉かげなる 天蚕てんさん(蚕の一種でクヌギなどを食べる)は深く 眠りて くぬぎのこずゑ(梢) 風渡りゆく

蚕へのお優しい愛情を感じさせる。

蚕糸業の衰退と皇后陛下のお務め

ところで、皇室におけるご養蚕の意味は、当初とは大きく変化している。と言うのは、時代の推移によって、かつては輸出品の花形だった蚕糸業は、今や激しい衰退に直面しているからだ。たとえば養蚕農家の数は、昭和4年(1929年)のピークには221万戸だったのが、平成元年(1989年)に5万7230戸、令和2年(2020年)の時点ではわずか228戸(!)にまで激減している。(農林水産省「蚕糸業をめぐる事情」令和3年[2021年]6月)。

こうした状況を直視すると、令和における皇后陛下のご養蚕は、遠く古代に由来し、近代化の進展にも大きな役割を果たした伝統ある生業を、資本主義的な経済合理性とは違う次元に立って、皇室ご自身の真摯なご努力によって守り、後世に伝えようとされているように感じられる。

異例だった“家族総出”の養蚕作業

ところで、6月1日のご養蚕の作業には、皇后陛下だけでなく、天皇陛下と敬宮としのみや(愛子内親王)殿下もご一緒されていた。その前の5月19日のご給桑には、天皇陛下が参加されていたのだが、こちらは“家族総出”で取り組まれたのだ。これは、宮中でのご養蚕としては全く異例の出来事だろう。

平成時代に、上皇后陛下の収繭作業に上皇陛下がご一緒された例はあった。しかし、このようなご家族総出というのは前例がないのではあるまいか。

この時は、皇后陛下のご体調が整わず、前日に予定されていた作業が1日、延期されたという事情もあった。そのため、ご体調が万全でない皇后陛下への、天皇陛下と敬宮殿下のお心づかいによる協働作業ということが、まず言える。

ただそれに加えて、敬宮殿下ご自身が生き物好きでいらっしゃるという事実も見逃せない。

敬宮殿下は学習院初等科3年の時から、毎年、お住まいで個人的に蚕を卵から孵化させて飼育してこられたという。若い女性に限らず、芋虫いもむしのような蚕を嫌がる人は、意外と多いかもしれない。しかし、敬宮殿下にそのような拒否反応はない。宮中におけるご養蚕の由来についても、両陛下から学んでおられるはずだ。

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雅子さまゆずりの生き物好き

敬宮殿下の生き物好きは、母親でいらっしゃる皇后陛下ゆずりという面もあるだろう。皇后陛下は田園調布雙葉小学校時代には生物部のリーダーでいらした。

当時、生物部の顧問だった岸田泰則氏は、皇后陛下のご養蚕について次のように述べておられた(『文藝春秋』令和元年[2019年]11月号)。

雅子さまは、皇后になられる1年ほど前に、美智子さま(上皇后陛下)から皇后の大切な仕事とされる養蚕のお仕事を引き継がれると発表されました。それまで一部に『雅子妃は虫嫌い』『元外交官は蚕に触れない』と風評があったのに呆れました。雅子さまほど養蚕を楽しまれる方はいらっしゃらないでしょうから

平成の一時期、心ない“雅子妃バッシング”が皇后陛下を苦しめた。それが現在まで続くご療養の原因になったことは改めて言うまでもない。その頃の根も葉もない「風評」の一つが、岸田氏が紹介しているものだ。皇后陛下がいかに生き物好きでいらっしゃるかを熟知している同氏としては、ただただ「呆れ」るしかなかっただろう。

バッシングを乗り越えて

一部のメディアによる皇后陛下への理不尽で無責任なバッシングが続いていた時期、天皇陛下も敬宮殿下もどれだけお辛い思いをされただろうか。国民の1人として申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

しかし天皇陛下ご一家の皆様は、そうしたお辛い時期を心を一つにして忍耐強く乗り越えられた。敬宮殿下が成年を迎えられた際の記者会見でお見せになった優美でチャーミングなお姿から、ご家族が皆様、今は幸せに満ちた日々を送っておられることを、はっきりと拝察できる。

「両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは、自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます」

先日の記者会見での敬宮殿下のこのようなご発言に照らし合わせて、ご家族そろってのご養蚕作業が、伝統的に受け継がれてきた皇室の大切なお務めでありながら、皆様にとってどれだけ楽しく、幸せな時間であったか、たやすく想像できる。その後、6月11日にも、繭の周囲の毛羽けばを取る「毛羽取り」や繭の中で成虫になった蚕が外に出やすくなるように繭の両端を切る「繭切り」などの作業を、ご家族総出で行われている。

「ご家族総出の養蚕作業」が意味するもの

このたび、天皇陛下ご一家が皆様総出でご養蚕に携わられたことは、成年をお迎えになった敬宮殿下が早速、皇室のお務めに積極的に取り組もうとされるお気持ちがあってこそ、可能になったはずだ。これはまことに心強い。しかも天皇陛下ご自身が、そのことを前向きに受け止めておられなければ、決して実現していない。

ご家族総出のご養蚕作業が行われたことで、皇室の在り方にもう一つ素敵なスタイルを付け加えることになった。

平成時代に上皇陛下と上皇后陛下がご一緒に収繭作業に当たられた前例を踏まえ、“令和流”ではご一家総出でより幅広い作業をなさる新しい例を開かれた。これによって、将来もし女性天皇が即位された場合でも、男女の役割分担を固定的にとらえて、無用な混乱を招く心配はなくなったと見てよいだろう。一般のメディアではほとんど気づかれていないようだが、あるいは、天皇陛下はそうした可能性もあらかじめ考慮された上で、さりげなく一つずつ手を打たれているのではないか。

日本国憲法を制定する際の議会において、憲法担当の国務大臣だった金森徳次郎氏が「象徴天皇」をめぐる答弁の中で、次のように述べていた(昭和21年[1946年]6月25日、衆議院本会議)。

「天皇をもって憧れの中心として国民の統合をなし、その基礎において日本国家が存在してると思うのであります」と。

皇室の伝統的なお務めに、ご家族そろって仲睦まじく取り組まれる天皇陛下ご一家のお姿は、まさに国民にとって「憧れの中心」と表現しても、決して言いすぎではないだろう。