「褒める」と「感謝」の決定的な違い

「ありがとう」も他者から来る言葉かけですが、「褒める」と「感謝」は何が違うのかというと、褒めるには評価が、感謝には無条件の愛があるので、受け手の感じ方が違うのです。感謝を通じて無条件の愛を受けていることが、自己存在感の源泉になります。

誰もが次第に認知の世界に誘われ、結果や評価による自己肯定感に呪縛されていきます。だからこそ、子ども時代に可能な限り、保護者や親から自己存在感の芽となる感謝や愛を感じておくことが重要です。

何よりも、「生まれてきてくれてありがとう」「今ここにいてくれてありがとう」には、評価などなく、自分の存在そのものへの価値を感じていくのです。それこそが、代えがたい体感・体験となって自己存在感が育まれると言えるでしょう。

公園の原っぱで娘を抱きしめる母親
写真=iStock.com/Hakase_
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子どもが疲弊する「親の○○思考」

無条件の愛につながる発想こそが「応援」です。応援は見返りのないエネルギーです。一方で、愛と勘違いして「期待」を振り回すことがしばしば生じています。期待とは、勝手な結果という枠組みに当てはめて、それを愛だと勘違いしている思考です。「期待している」と言われて育つ子どもは、親の思考の枠組みで育ち、結果を出すことでその期待に応えようとします。期待されているほうもプレッシャーだし、期待しているほうも勝手な枠組みどおりにいかないと、怒りの原因にもなりかねない思考です。

辻秀一『自己肯定感ハラスメント』(フォレスト出版)
辻秀一『自己肯定感ハラスメント』(フォレスト出版)

期待思考で育てば、当然のごとく自己肯定感への執着が生まれ、常に苦しくストレスフルな人生を歩むことになるでしょう。応援思考は、結果に関係なくエネルギーを与えられているので、それだけで自己存在感を子どもは感じます。

親の目が期待なのか、応援なのか。それは、子ども自身が感じ取っていく世界なので、親が応援のつもりだと言っても、子どもが期待と受け取っていたら、自己存在感は育まれないでしょう。それは、上司部下の関係でも、コーチ選手の関係でも、同じです。

自分らしく伸び伸びと生き抜いていくには、今のような自己肯定感至上主義の発想から脱却しなければ、それは実現不可能です。視点を変えて、認知的な思考、認知的な声かけに慣れきってしまった私たち自らが、自分、心、質といったものへの非認知的思考を新たに習慣として身に付けていかなければ、豊かな社会は永遠にやってきません。

難しく感じるかもしれませんが、慣れていないだけであって、非認知的思考は、誰にでもできるものです。認知的思考の世界は、実は単なる進化した動物の社会であって、真の人間としての世界は非認知的思考を有した文化的社会と言えるでしょう。そんな世界にいなければ、人は疲弊して人間らしさを失っても当然なのです。

辻 秀一(つじ・しゅういち)
産業医

北海道大学医学部卒業。慶應義塾大学スポーツ医学研究センターでスポーツ医学を学ぶ。1999年、QOL向上のための活動実践の場として、エミネクロスを設立。応用スポーツ心理学をベースに、個人や組織の活動やパフォーマンスを最適・最大化する心の状態「Flow」を生み出すため、独自理論「辻メソッド」で非認知スキルのメンタルトレーニングを展開。著書に『スラムダンク勝利学』『ゾーンに入る技術』『禅脳思考』『自分を「ごきげん」にする方法』他多数。